博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

カーボベルデ、ギニア・ビサウの人々への国際支援

2023年09月08日 | 歴史
 カーボベルデ、ギニア・ビサウの独立を目前に非業の最後を遂げたアミルカル・ロペス・カブラル(上の写真です)の名は、今日、カーボベルデ共和国の国際空港の記念名称になっています。
 さて、小川忠博氏が書かれた著書『ゲリラの朝―ポルトガル領アフリカ“解放区"ルポ』にはギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)の人々への国際支援の実態も詳細に描かれています。冷戦下の1960年代から70年代前半ですから、当然のように旧ソ連、東欧諸国、中国、キューバ等によるPAIGCへの軍事支援が競って行われていました。その一方で、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国の支援も非常に手厚いものであったことが記述されています。これらの北欧諸国は旧ソ連の影響力が、いずれ独立を果たすであろう新興アフリカ諸国へ強まることを望まなかったのでした。そこで、これらの国々は、特に医薬品、医療器材、衛生用品などの民生分野に的を絞った支援をPAIGCに提供していました。独立後の国づくりを視野に入れたものと思われました。私が興味を惹かれたのは、当時の旧ソ連等の東側諸国に対して厳正中立を貫いていたスウェーデンとフィンランド(それも今回のロシアのウクライナへの侵略で変容しつつありますが)はともかく、ノルウェーはNATO加盟国だったことでした。ところがPAIGCを弾圧していたポルトガルもNATO加盟国だったのです。こうした北欧諸国の活動は地味で余り注目を集めることはありませんが、意外と世界情勢に及ぼす影響力は大きかったようです。
 最後に、私が特に印象に残ったことは、1975年7月5日、正式に独立を達成したギニアビサウとカーボベルデを世界で最初に承認した国は、わが日本国であったということでした。しかもスウェーデンより早かったのだそうです(わが国はこれといった支援はしていなかったのですが・・・)。

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