今日は10時半から終日会議でした。昨日とは打って変わって冷たい雨でした。
会議後、ドイツ、アメリカの外部評価委員の先生方に、ポーランドからいらしている私のセンターのW教授と一緒に接待の夕食会をしました。
本当は金沢の名所の東茶屋街をご案内して、すきやきを食べる予定でしたが雨が激しくなったので予定を変更して、先生方が宿泊している金沢国際ホテルでの夕食会に切り替えました。
ちょうどポーランドが独立記念日(1918年)を迎えていることが話題になり、私が1983年3月に戒厳令下のポーランドを訪問した話をするとたいへん感心されました。私がどうやって首都のワルシャワまで行ったか(全部陸路を辿った)を説明してまた感心されました。
ところでW教授と親しいポーランドの哲学者が今滞在中なのですが、当時のヤルゼルスキ首相(後、大統領)の名前を出すだけで哲学者は顔をしかめます。1981年12月13日の「連帯」に対する戒厳令発令は、ポーランド国民から「開戦」という名前で呼ばれていました。政府の国民に対する「戦争」ということですね。だから戒厳令発令者のヤルゼルスキ将軍が嫌われているのも無理の無いことです。
その一方で、戒厳令を発令したことでソ連の軍事介入を回避できたという評価も一部にはあります。そこらへんはどう思われるか聞いてみたかったのですが、私の英語力が追いつかなくなりました。
Catalystさん、疲れがたまってきましたが、まだ2日行事が残っています。
しかも最終日の13日は金沢でシンポジウムなのです・・・
会議後、ドイツ、アメリカの外部評価委員の先生方に、ポーランドからいらしている私のセンターのW教授と一緒に接待の夕食会をしました。
本当は金沢の名所の東茶屋街をご案内して、すきやきを食べる予定でしたが雨が激しくなったので予定を変更して、先生方が宿泊している金沢国際ホテルでの夕食会に切り替えました。
ちょうどポーランドが独立記念日(1918年)を迎えていることが話題になり、私が1983年3月に戒厳令下のポーランドを訪問した話をするとたいへん感心されました。私がどうやって首都のワルシャワまで行ったか(全部陸路を辿った)を説明してまた感心されました。
ところでW教授と親しいポーランドの哲学者が今滞在中なのですが、当時のヤルゼルスキ首相(後、大統領)の名前を出すだけで哲学者は顔をしかめます。1981年12月13日の「連帯」に対する戒厳令発令は、ポーランド国民から「開戦」という名前で呼ばれていました。政府の国民に対する「戦争」ということですね。だから戒厳令発令者のヤルゼルスキ将軍が嫌われているのも無理の無いことです。
その一方で、戒厳令を発令したことでソ連の軍事介入を回避できたという評価も一部にはあります。そこらへんはどう思われるか聞いてみたかったのですが、私の英語力が追いつかなくなりました。
Catalystさん、疲れがたまってきましたが、まだ2日行事が残っています。
しかも最終日の13日は金沢でシンポジウムなのです・・・