博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

マリンワールド

2012年10月08日 | 九州の風物

海の中道海浜公園の中にある水族館マリンワールドは地元の玄界灘の魚から、熱帯の魚まで多様な魚類が展示されています。写真はミズクラゲです。

じゅんじさん、ようこそ!国設スキー場って全国のあちこちにありますね。国設スキー場とは林野庁=営林署が開発・運営しているスキー場のことですよね。旧交通公社(現JTB)も参加していたようですね。開業後に地元の自治体に払い下げられて市町村営になるという経路でしょうか。ある登山家のブログを読んだ際に、国設スキー場は前世紀に営林署が地域振興と雇用の創出のために盛んに作ったという記事を読んだことがあります。


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1 コメント

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Unknown (じゅんじ)
2012-10-08 21:17:06
さすが管理人様!!
博識ですねぇ。それともネットのリサーチ力????記憶力???
私は、だいぶ前から「国設スキー場」についてネットで調べていましたが、何の手がかりも得られなかったのですよ。「『国設』って、どこの省庁が経営してるのだ?」とも思っていましたが、林野庁だったのですね。ありがとうございました。

私は2008年末から、私のHPに、今の「岩木山百沢スキー場」、もとの「国設岩木山スキー場」に関する大きなコンテンツを作ろうと資料集めを続けています。昭和44年まで、津軽の象徴、岩木山(1625m)の山頂付近から山麓まで標高差1200m強、全長4千メートル強を、1~2分台で滑る「岩木山弾丸滑降大会」が開かれていたそうです。札幌オリンピック前は代表の選考も兼ねていました。当時の新聞を見ると青森県は毎年3月末のこの時期はもうお祭り騒ぎ。当時を知らない人も「昔、百沢スキー場では、死人が出るほどの、もんのすごいスキー大会があった『らしい』」というのだけは有名です(この事実は、ネットでも書籍でもほとんど取り上げられていない)。ただ、昭和38年から平成2年まで「第一リフト」しかなかったので、選手はスタート地点まで4時間かけて上ったそうです。百沢スキー場HPの空撮写真に、弾丸滑降コースの跡がうっすら残っています(リフトがある尾根の左)。

http://www.hyakuzawa-ski.com/04_institution/index.html

面白いのは、プロも出る本格的大会なのに、かつ、明らかに危険すぎる大会だったのに(コース中盤の、45度急斜面→20度逆斜面→ジャンプ、が最大の難所)、中学生以上なら誰でも出場できたこと。参加者は毎年百数十人。

当時の新聞を見ると、前日のインスペクションからして首や腰の骨を折った人続出… 優勝経験者からも話を聞きましたが、役場職員が転倒して何か月も入院したとか凄い怪我話ばかり。私の父の話をも総合すると、あまりの豪快さと危険さのため、どうやら「出ただけで英雄」だったようです(これには津軽人の気質・美徳も絡んできます)。

なお、弾丸滑降コースのさらに左には「パラダイスゲレンデ」というやたら広大で長いゲレンデがかつて存在し(終点は畑)(駐車場からひどく離れた広大なゲレンデにバス会社が動かすロープトウがかつてぽつんとあった)、また、第一リフトの上には、第二リフトが架けられるはるか以前、航空写真によると少なくとも昭和45年の時点で、今の第二リフトのはるか上方まで広大なコースが既に用意されていました(空撮写真では遠近法が効いているが、実際は広く長い)。

話が脱線しましたが、つまり、昭和40年代当時すでにあったゲレンデに、もし、まともにリフトを架けていれば、ニセコひらふや八方尾根のような大型スキー場になれたのですが、なぜ、広大で秀逸なゲレンデを作るだけ作ってから(弾丸滑降コースは全日本スキー連盟A級公認コースだった)、昭和38年から平成2年まで、リフトが一本しか架からなかったのか???(昭和50年代はリフトは大混雑だった)これが不思議でしょうがなくて、旧町役場(現在は弘前市の支所)に取材に行くも、当時を知る職員は居ず。

しかし、ゲレンデ開設=林野庁の仕事、リフト架設=市町村など他の仕事、と、縦割り行政だったとすえば、わかりますね。流葉スキー場の国設ゲレンデのリフトも「町営第11リフト」「第12リフト」だったと思います。今回はありがとうございました。
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