坂田利夫、間寛平、他の二人の丁稚がリアルにポンコツだったのに比べて、
木村進ちゃんはとにかく達者で器用。
あの頃はまだ20代半ば、
いや23歳で吉本新喜劇の座長になっとるんですな。
脳内出血がなければ、どれだけのお笑い人になったはったか。
実際面白かったもん。
今やアンジャッシュ渡部の持ちネタとなってる、
番宣に来た人のドラマ本人より流暢に説明した後、
「一切出演しておりません」
とオトすギャグなんぞ、
木村進のパクりとは言わないけど、45年前に既に原型をやっとるからね。
当時の芸人さんは、ポン中や、借金や、病気で、悲劇的に、
良くて途中リタイア、悪くてどこ行ったか判らん、最悪死ぬなんて事が当たり前だった。
あの病気で事実上、芸人としての命を断たれた進ちゃんだったけど、
それでも諦めず車椅子の上から笑わせてくれていた。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
この句が読まれたのは満州事変の年、
でも「明治は遠くなりにけり」
と言う言葉が流行ったのは進ちゃんが活躍してた昭和40年代。
どんどん昭和の思い出が、本当に心の中にだけになっていってしまう令和の世は、正に
昭和は遠くなりにけり
木村進ちゃんはとにかく達者で器用。
あの頃はまだ20代半ば、
いや23歳で吉本新喜劇の座長になっとるんですな。
脳内出血がなければ、どれだけのお笑い人になったはったか。
実際面白かったもん。
今やアンジャッシュ渡部の持ちネタとなってる、
番宣に来た人のドラマ本人より流暢に説明した後、
「一切出演しておりません」
とオトすギャグなんぞ、
木村進のパクりとは言わないけど、45年前に既に原型をやっとるからね。
当時の芸人さんは、ポン中や、借金や、病気で、悲劇的に、
良くて途中リタイア、悪くてどこ行ったか判らん、最悪死ぬなんて事が当たり前だった。
あの病気で事実上、芸人としての命を断たれた進ちゃんだったけど、
それでも諦めず車椅子の上から笑わせてくれていた。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
この句が読まれたのは満州事変の年、
でも「明治は遠くなりにけり」
と言う言葉が流行ったのは進ちゃんが活躍してた昭和40年代。
どんどん昭和の思い出が、本当に心の中にだけになっていってしまう令和の世は、正に
昭和は遠くなりにけり