これはNoteにあげようと思ったんだけど。。。
インスタ映えならぬ「Note映え」しなそうだから。まったく。
なので自分の解放区であるブログのほうへ~
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我々は、訓練したり、あるいは予期せぬタイミングで、物語にすっと没入しちゃったりします。物語とは、たとえば映画とか本とか。
ところで人生で一番、といっていいぐらい重要なのは、我々はこの現実世界に最初っから没入しちゃっているということ
を、知るということです。
没入しているということは、一旦出ることができるんです。でもそれは、訓練が必要かもしれません。
また、あるタイミングで、何か強烈なタイミングによってすっと出てしまうこともあるでしょう。
極論すれば死ぬときは出るときなのですが、死ななくとも出れるということです。
あ、これは幽体離脱とかオカルト的な話ではないですよ(近いっちゃ近いですけどね)
睡眠は。。出ていってるのでしょうね一旦は。ただし毎日ではありません。
睡眠について言及するのは、長くなるので。。(笑)
また別な機会に。
訓練というのは、まぁわかりやすくいえば、ですが、禅や瞑想といった手法がありますね。
それがすべてではないですが。
本や映画でなくとも。。たとえばスポーツで無の境地にすっと入れることがありますが最近は「ゾーン」と呼ばれていますね。
また、自分は経験はないですがアーティストのライブである種のエクスタシーを感じてすっと入っていってしまうこともあるでしょう。
と、いうことは。
それらは、現実世界の中の別な物語としてすっと「入って」いっているのではなく、「ここ」から「出て」いってるのかもしれませんよね?
別なところへ入っていくとみせかけてそれが、この世界から一旦すっと出ることのできる手法のひとつなのかもしれません。
まあ、昔から「悪い」意味で現実逃避という言葉が使われますが、まさにそのとおりですよね。
いずれにせよ、この現実世界はときに息苦しくなったり、苦しくなったり、あるいは物理的な(らしい)痛みを伴ったりしますよね。
そのこと自体不思議だなあと思うことありませんか?
私はありますけどね。苦しいとか痛いとかすべて無駄じゃね?と。
なんでこの世は楽園としてセットされていないのだろう?と。
まあ、思わなくとも別にいいのですが。。。
自分が存することのできる空間がこの現実世界一択で、にもかかわらずいつも痛かったり苦しかったりしたらいやでしょう?
だから、この現実世界から、死んだり寝たりする以外の手法ですっと抜けることは可能なんだよ、ってことを知らしめたいわけです。
抜けれるということは、この現実世界が一択じゃないってことです。
まあ、わかりやすくいうと。。。メタ・ワールドがあるってことです
(わかりやすくない汗)
残念ながら?かわかりませんが、我々凡人にとっての世界というのは多様化はされておらず、この現実世界+メタ・ワールドぐらいの選択肢しかありません。
ほんのわずかな、誤差程度の例外として、いちばん最初に書いたとおり我々は物語の世界に没入していくことができますが、それは時間にしたらほんのわずかであり、選択できるといえるほどのことではないです。
つまり、没入していっている先はアナザー・ワールドというよりは自分が生きている現実世界の中のちょっとした異界にすぎないということです。
世の中には多重人格者というのがいるらしいですが、そのあたり自分は明るくないので言及しません。
でもふつう人間は多重に生きることはできません。
さて、先ほど言及を避けた寝た後ですが、寝ると夢をみますね。
その夢でも、ほとんどの場合一人称は自分のはずです。(自分を俯瞰してみれたりはしますし、あるいは自分自身の容姿が異なっていたりもしますが、自分は自分であることがほとんどでしょう)
と、いうわけなので、自分自身という確たるものがあって(「心」とか「意識」とか呼ばれるもの)
ふだん自分の意識はこの現実世界にどっぷりいますが、
ちょっと上のステージ(メタ・ワールド)にも上がれるということです。
すごく大げさにいうと、21世紀も半ばぐらいになったら、メタ・ワールドと現実世界をいったりきたりするスキルは必須になってくるかもしれないですね。
だって、20世紀的ソリューションだと、現実世界に苦しくなったら現実の中で逃避するしかなかったわけでしょう?
わかりやすいのは「旅行」ですよね。この現実世界で、たまったま、ふだん暮らしているエリアから離れる。
離れても、ぜんぜん解決になってないんです。
あとは、お金かかるでしょう(笑)
お金がかかるということは、何か別な楽しみとか、生活水準を犠牲にしてまで逃避するわけで、それがそもそもおかしいのです。
ストレス解消の意味での海外旅行と、メタ・ワールドへの「逃避」(ホントは違うけど)は何が違うのか?
うーん、違い。。。
違いすぎるが。。
無料である(爆)
メタ・ワールドの場合は「戻る」という表現があっていますね。
そもそも自身が存すべき場所に戻る、ということです。
その「場所」とは物理的な場所ではないんですけども。。。
だから、本来はストレス解消の意味でも、逃避の意味でもないんだけど。。。メタ・ワールドに「戻る」というのは。
でも、先ほども書いたように、そういう「戻る」場所があることすら認識してない人が多いでしょう?
だって、なんで人間は寝るのかっていう話ですよ。なんで夢を見るのか?
寝るのは、単に体力回復のためではない。人間は、1日にいっかい「戻」らないとダメな生物なんですよ。
夢はメタ・ワールドの断片、あるいはメタのメタファーですよ。夢がすべてではない。あれは「かけら」のようなものです。
はあ、ちょっと長くなりすぎてしまったので一旦切りますね
インスタ映えならぬ「Note映え」しなそうだから。まったく。
なので自分の解放区であるブログのほうへ~
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我々は、訓練したり、あるいは予期せぬタイミングで、物語にすっと没入しちゃったりします。物語とは、たとえば映画とか本とか。
ところで人生で一番、といっていいぐらい重要なのは、我々はこの現実世界に最初っから没入しちゃっているということ
を、知るということです。
没入しているということは、一旦出ることができるんです。でもそれは、訓練が必要かもしれません。
また、あるタイミングで、何か強烈なタイミングによってすっと出てしまうこともあるでしょう。
極論すれば死ぬときは出るときなのですが、死ななくとも出れるということです。
あ、これは幽体離脱とかオカルト的な話ではないですよ(近いっちゃ近いですけどね)
睡眠は。。出ていってるのでしょうね一旦は。ただし毎日ではありません。
睡眠について言及するのは、長くなるので。。(笑)
また別な機会に。
訓練というのは、まぁわかりやすくいえば、ですが、禅や瞑想といった手法がありますね。
それがすべてではないですが。
本や映画でなくとも。。たとえばスポーツで無の境地にすっと入れることがありますが最近は「ゾーン」と呼ばれていますね。
また、自分は経験はないですがアーティストのライブである種のエクスタシーを感じてすっと入っていってしまうこともあるでしょう。
と、いうことは。
それらは、現実世界の中の別な物語としてすっと「入って」いっているのではなく、「ここ」から「出て」いってるのかもしれませんよね?
別なところへ入っていくとみせかけてそれが、この世界から一旦すっと出ることのできる手法のひとつなのかもしれません。
まあ、昔から「悪い」意味で現実逃避という言葉が使われますが、まさにそのとおりですよね。
いずれにせよ、この現実世界はときに息苦しくなったり、苦しくなったり、あるいは物理的な(らしい)痛みを伴ったりしますよね。
そのこと自体不思議だなあと思うことありませんか?
私はありますけどね。苦しいとか痛いとかすべて無駄じゃね?と。
なんでこの世は楽園としてセットされていないのだろう?と。
まあ、思わなくとも別にいいのですが。。。
自分が存することのできる空間がこの現実世界一択で、にもかかわらずいつも痛かったり苦しかったりしたらいやでしょう?
だから、この現実世界から、死んだり寝たりする以外の手法ですっと抜けることは可能なんだよ、ってことを知らしめたいわけです。
抜けれるということは、この現実世界が一択じゃないってことです。
まあ、わかりやすくいうと。。。メタ・ワールドがあるってことです
(わかりやすくない汗)
残念ながら?かわかりませんが、我々凡人にとっての世界というのは多様化はされておらず、この現実世界+メタ・ワールドぐらいの選択肢しかありません。
ほんのわずかな、誤差程度の例外として、いちばん最初に書いたとおり我々は物語の世界に没入していくことができますが、それは時間にしたらほんのわずかであり、選択できるといえるほどのことではないです。
つまり、没入していっている先はアナザー・ワールドというよりは自分が生きている現実世界の中のちょっとした異界にすぎないということです。
世の中には多重人格者というのがいるらしいですが、そのあたり自分は明るくないので言及しません。
でもふつう人間は多重に生きることはできません。
さて、先ほど言及を避けた寝た後ですが、寝ると夢をみますね。
その夢でも、ほとんどの場合一人称は自分のはずです。(自分を俯瞰してみれたりはしますし、あるいは自分自身の容姿が異なっていたりもしますが、自分は自分であることがほとんどでしょう)
と、いうわけなので、自分自身という確たるものがあって(「心」とか「意識」とか呼ばれるもの)
ふだん自分の意識はこの現実世界にどっぷりいますが、
ちょっと上のステージ(メタ・ワールド)にも上がれるということです。
すごく大げさにいうと、21世紀も半ばぐらいになったら、メタ・ワールドと現実世界をいったりきたりするスキルは必須になってくるかもしれないですね。
だって、20世紀的ソリューションだと、現実世界に苦しくなったら現実の中で逃避するしかなかったわけでしょう?
わかりやすいのは「旅行」ですよね。この現実世界で、たまったま、ふだん暮らしているエリアから離れる。
離れても、ぜんぜん解決になってないんです。
あとは、お金かかるでしょう(笑)
お金がかかるということは、何か別な楽しみとか、生活水準を犠牲にしてまで逃避するわけで、それがそもそもおかしいのです。
ストレス解消の意味での海外旅行と、メタ・ワールドへの「逃避」(ホントは違うけど)は何が違うのか?
うーん、違い。。。
違いすぎるが。。
無料である(爆)
メタ・ワールドの場合は「戻る」という表現があっていますね。
そもそも自身が存すべき場所に戻る、ということです。
その「場所」とは物理的な場所ではないんですけども。。。
だから、本来はストレス解消の意味でも、逃避の意味でもないんだけど。。。メタ・ワールドに「戻る」というのは。
でも、先ほども書いたように、そういう「戻る」場所があることすら認識してない人が多いでしょう?
だって、なんで人間は寝るのかっていう話ですよ。なんで夢を見るのか?
寝るのは、単に体力回復のためではない。人間は、1日にいっかい「戻」らないとダメな生物なんですよ。
夢はメタ・ワールドの断片、あるいはメタのメタファーですよ。夢がすべてではない。あれは「かけら」のようなものです。
はあ、ちょっと長くなりすぎてしまったので一旦切りますね