【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「無邪気じゃいられない」

2009-01-08 05:24:36 | 違和感アンテナ
社会に出たらさ、なんつーか、「無邪気じゃいられない」んだよ。

生きなきゃならない。

カンゼンに自分独りで生きてゆく場合をのぞき、たとえば犯罪とかね、覚せい剤とか、そういう一気に人生を台無しにするようなことは、やっちゃいかんのだ。

そして、そういう罪をヒトにかぶせたりなすりつけたりするのもダメだ。他人の人生を台無しにしては、いけないんだよ。


たとえば昨今、僕らのような電車通勤している男子は常に痴漢の冤罪という潜在的恐怖と闘わなければならない。

満員電車に揺られていれば、常に、あらぬ疑いをかけられる可能性を秘めているんだ。あの、異常な空間というのは、実は相当なキケンをはらんでいる。

キケンといえば、ちょっと肩が触れたり、足を踏んでしまったりしても、あの空間は一触即発。。

朝のラッシュ時っていうのはバイオレンスだ。


他には、教師はちょっと生徒をゴツいただけで、親に訴えられ、教師のほうの人生が台無しになる、などなど。。
(教師ってホント、なりたくない職業だなあ)


仕事を抱える「男子」は非常に生きずらい世の中になった。
とかく家庭を抱える男子たるもの、ガマンしてガマンして生きてゆかなければならないのだが、最近のヒトたちはそういう自覚はあるのだろうか?

酔った勢いとかなんかの勢いでブチキれて暴発しても仕方がない(「オレは自分で自分をとめられないぜ」みたいな。。)、なんてタカをくくっていないだろうか?
そう考えてるんだとしたら、甘い。
とにかく、そういう意味でもますます「ヤバい」世の中になっている。


男子はガマンして生きてゆかなければならないし、家庭はそれを支えなければならない。
その考えが何か、間違ってるか?

家庭が支えてくれなければ男子は外で暴発するしかないだろう。家庭が安心できなければ。

男子は家庭に安心を求めてはいけないのか? 男子は家庭でもガマンにガマンを重ねて生きてゆかなければならない世の中か?

だとしたらますます「ヤバい」よね。