【my格言】
-日本人は「教養」を犠牲にして社会インフラを豊かにしてきた(20080908)
(格言と本文とはほぼ、関係ありません)
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(4週間掲示します)
おつかれさまです、龍澤です。
ちょっとあんまり、直接的なこと(特定の方の描写とか)は書きませんが。。
このギョーカイの最底辺層に棲息している僕でも、ときおり、いわゆる「高学歴」のヒトたちと仕事することがあるわけです。(以下、「高学歴サン」と書く)
ここ数年、そういう高学歴サンたちからインテリジェンスを感じないなあと思うのは、僕の気のせいなのだろうか?
まァ、僕の中に嫉妬成分は多分にあるだろうから、それを否定はしないけど。。
ムカシムカシ、まだこのギョーカイが牧歌的だったころ。。(そして、僕がまだ小僧だったころ)
いわゆる現場リーダクラスっていうのが、おおよそ、「それなりの」大卒のヒトたち、あるいは叩き上げの専門卒が引っ張っていて、その上のマネージャクラスあるいはもっとその上に高学歴のお歴々がちらほらいて、睨みをきかせていた。
この国のビジネス・シーンはおおよそ、今もムカシもそうなってるし、このギョーカイも例外ではない。
で、ムカシは、上層部の高学歴サンたちであっても、決して「ガリ勉くん」出身にはみえず、それなりの凄みを持ち、その下の「荒くれもの」の現場リーダクラスを仕切って統率できてたような気がするんだよね。
彼らには現場リーダにはない「インテリジェンス」プラスアルファをもってたと思うのね。だから、リーダたちはついてゆく。
それは、経験からくるものもあるんだろうけど、やっぱ「インテリジェンス」というコトバがぴったりくる。
ただの「スキル」ではないんだな、スキルがさらに昇華したものというかね。
で、「プラスアルファ」っていうのが、ヒトとしての「器」なんだろうか。あるいは、もともとインテリジェンスの素養がある人材が、若い時期に現場でキビしい状況にもまれることにより醸成される何か。。
僕は若かりし頃(「小僧」を脱皮したぐらいだったかな)は、そういう高学歴サン、そして高学歴「クン」(若手)たちに対して「打倒!」に近い感情を持っていた。
今考えると何を打倒するのかすらようわかりませんが。。
でも、ウラを返せば、倒しがいがあった、あるいは、倒しがいがあるように見えた、ってことでしょ。
今はそうは見えないんだよなあ。
今、高学歴クンたちが続々と、ギョーカイ事情により、レイヤの低いところに飛び込んできてる時代だと思うんだけどね。
(たとえれば、タクシー運転手に大卒が増えてきた、みたいなことかな。。)
まァそれはそれでタイヘンなんだろうけど、どのレイヤだって「努力」はできる。そして努力は必ず実を結ぶ。それがホントの努力なのであれば。
(努力してるふりとか、他人にほめてもらいたいからやる努力とかは、ニセモノ)
努力が実を結べば、上のレイヤに引上げてくれるヒトはいる。これがいわゆる「運を引き寄せる」ってヤツね。
でも、「高学歴クンが底辺層でやらなければならない努力」っていうのは、タイヘンなんだろうなあというのは、わかるような気がする。
本来、彼らがやらなくともよかったようなこと。。
結果、良き素材が底辺層に埋もれていってしまう。あるいは、あっという間に他ギョーカイへ流出してしまう。
それが、もったいない感じがする。
ハナシは相当ズレるけど、たとえば東南アジア方面では、勉強して学校を出たところでそれを活かす仕事がないんだ。仕事が肉体労働系しかないのであれば、力の強いほうがよい。あるいは、その仕事を始めるのが早ければ早いほど、よい。若い時期に勉強した時間がカンゼンにムダになってしまう。
極端にいえばそれと似たようなことが、まさにこのギョーカイで、起きているのだろう。
世間一般にいわれる「ゆとり」世代の学力低下論とは別なハナシでね。とある世代の学力が全体的に低下したところで、上位層のレベルは別に変わらない。変わらないのだが。。
高学歴サンたちは、社会に放たれてから、自助努力でスキルレベルを上げていってるだろうか?(実際、上げてきたか? 上げる努力をしてきたか?)というあたりにギモンは感じる。
つまり、彼らは「伸びてない」(と僕は感じる)。社会に出て10年を超えたあたりからビジネスマンとしてぐんぐん伸びてゆくはずが、停滞している。
(超・余計なお世話だというのはわかっていますが)
僕は彼らが、大学に残ったり教職を選ぶのでなく、ビジネス・シーンに出てきたからには、相当の自助努力をする義務があると思っている。その課せられた努力量は、我々「その他大勢」に課せられたものより相当大きいはずで。
確かに、キビしい時代ではある。がそれを言い訳にはできない。
いつの時代も、好景気でも不景気でも、実は高学歴クンたちにとって、ビジネス・シーンはいつでもキビしい。なぜなら、彼らには「使命」があるはずだから。
そういう意味では平等ではないんだよね。世の中、というよりビジネス・シーンは平等でなくともよいのだ。ビジネス・シーンは機会平等でもなければ結果平等でもない。
彼らは、高学歴という「チケット」を努力してゲットしたのだろうけど、そこで浮かれているわけにはいかないはずなのだ。
そこから先、さらなる、相当なる至難が待ち受けていることに対して知らんふりをしている。他人事だと思ってるんだろうね。
その「チケット」をもっていれば確かに、世の中わたっていきやすい。特に若い頃はそうだよ。第二新卒だのポテンシャル採用だの、30歳前であればまだまだそのチケットが絶大なる効力をもつ世の中だ。
そして、そのチケットを持ちながら、その地位にふさわしい努力をしてゆけば、世の中もっともっとわたっていきやすくなる。
が、そこまでいかない。。 30過ぎぐらいで見事に凡人になる。高学歴チケットは「過去の栄光」に堕してしまう。。
ああ、なんてもったいないことよ。
彼らには、プライドがなくなってんじゃないのかなあ? と、思う。
プライドっていうのはね、時には自分に無理をさせる起爆剤になるもので。
それゆえにヒトは成長するわけでしょ。
僕らの知りえない、彼らのレベルのプライド。。
それは、大げさにいえば「国を引っ張ってゆく」ぐらいのね。別にそれは、政治家にならなくともよいのだ。
それぐらいの気概は、彼らにはもっていてほしい。
ミーイズムに堕してほしくないんだよなあ。
彼らはもちろん、プライドは持っているはずで、でもそのプライドのレベルが低いんだよ。最近、衆愚政治なんていわれちゃってるけどさ、そのへんの影響をモロ受けてるんじゃないのかな。
良質な人材に対して、正しい選民意識を植えつけるオトナがいなくなっちゃったんだろうね。
これだけエセ平等な世の中になっちゃうと。
もう僕はこのギョーカイの最底辺にどっぷり浸ってしまっていて、もう動けそうにないから(それに、もう歳だし。。)、まだギョーカイに染まっておらず、底辺層に埋もれかかっていない高学歴クンたちに、ギョーカイを改革してほしい。
彼らには状況を受け入れるのではなく、状況を変えていってほしい。
それを切に願っています。