【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

時給

2009-06-14 07:13:04 | IT思想的
自分の価値(ビジネス・シーンにおける)を考えるときに自分はいつも「時給」に立ち返ってしまう。
確かに、小僧の頃にくらべれば僕の時給は上がっているけれども、もしかしたらそこが、今の自分の限界というか。。

自分を時給で評価してしまうところからして、自分にブレーキをかけているというか。。


ビジネス・シーンでなければ、そもそも人間なんて、価値を金銭で量ることなんかできないはずだろ? なんて、いえちゃうのだろうけど。。

自分の価値が時給換算できてしまうということはカンタンにいえば×8すれば日給になるわけで、「自分は1日働くといくら稼げるのか?」というのがわかってしまうのだけれど、それだったら、「オレってへとへとになって働いても1日1万のオトコ?」なんて愕然としたりして。。
(いや、オイラの日給が1万だといってるわけじゃなくて、例ね、例)

そうじゃなくて、自分には瞬間的に価値を生み出すことができる、と、思いたいよね。

妄想でいえば、自分が打ちでの小槌を振るだけで5万、とかね。
ひとつのコトバを発すると10万とか。。


。。何を言いたいかというと、戻るんだけど、時給いくらとか日給いくらとか月給いくらとかで自分の価値に制限をかけたくないんだよね。

そういうふうに思っていればホントにそのぐらいの価値の人間になっちまう、というかね。

それって、ビジネス・シーンが学歴社会になっているのと通底してるでしょ。たしかに、学歴よりは、そいつがどのぐらい儲けているか、のほうが、定量的でわかりやすいっちゃわかりやすいんだけど。。


。。でもそっか、もしかして、「オレは時給5万円の人間だ!」って思い続けていたら、実際そうなってくれるのかな? だったら、ずっと念じていようかな。。
。。そういうヨコシマな気持ちで念じていたところでダメだとは思うけど。。

でも、信じるのは大事だ。