【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

内科的措置

2015-02-21 20:11:20 | IT思想的
ムカシの書き殴りメモ掘り起し
2011.3.24
医療においては包括的に、その人間そのもの、全体を「診る」という姿勢が見直されてきていると聞きます。
つまり、患者が腹が痛いといえば腹痛がおさまる薬を出しましょう、風邪の症状があればはい風邪薬、といった安易な対処療法ではなく、全体を診ましょう、と。。
その中には当然、「こころ」も含まれてきます。どのような性格か? どのような人生を歩んできたか? というのもきわめて重要なパラメータですね。

人間はひとりひとり、過去の蓄積も性格も、体力も異なるのですから、万人に共通の処方箋はほぼないといってよいのです。

また、症状が出たらそれを抑える、の繰り返しではなくて、症状は抑えながらも今後再発しないようにしてゆくことを考えて、実践してゆくほうが大事です。病気の「もぐらたたきゲーム」になってはいけません。

そのためにはどうしても、患者側の「リテラシー」も必要になってくるのですね。信頼できる医者が、糖分をなるべく控えるようにというアドバイスを出したならばそれに愚直に従う必要があります。対処療法の繰り返しに慣れきっていて、症状がでたらそれを治せばいいや、と安易に考えすぎてしまっているのは実は患者側のほうなのです。



システムエンジニアリングにも応用できる話ではないでしょうか。。 特にシステムの運用においては。

結果的に同じアウトプットになることは、あるでしょう。患者がお腹が痛いというのを鵜呑みにして、オートマティックに腹痛がおさまる薬を処方するのと、じっくり問診などをした結果として同じアウトプット(同じ薬を処方)になることもあるでしょう。
ですが、じっくり話を聞いてあげた結果として「トイレにいったらいかがですか?」のひとことで解決するかもしれないのです。

そして外科的処置はまた別な話です。指を切ったら消毒して絆創膏を貼る、というのはどの人間であっても画一的な処置がされます。
我々の業界でいえば、ハード不良による部品交換のようなものでしょうか、ね。。

内科的処置は、人間の「こころ」や精神状態ときわめて密接なつながりがあるということです。そしてその人間がたどってきた経緯とも。
前回も書きましたが、ほぼ「100%気のもちよう」であって、「自分は健康である」という過度の思い込みが、実際の物理的な内臓の状況を凌駕して、本当に治ってゆくと事実があります。
我々素人は、「なぜ」そうなってゆくのかを考える必要はないのです。いずれ医学が進歩して、解明してゆくことでしょう。