【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.267

2009-04-05 07:58:18 | メルマガ移行

-小遣い帳(20070824)

小遣い帳をつけ始めてから、ゆうに20年は経過しています。
(略)たかが家計簿であっても、20年も続けていれば、何かしらの感慨、達成感のようなものを、感じることができるのです。

それに、自分は自分でコントロールして、ムリをせず(でもちょっとムリをして)モノゴトを継続して続けてゆくことを、この「家計簿つけ」から学んだのです。

家計簿のおかげで自分の人生が良い方向に矯正されています。


でも、この20年の間にはもちろん、葛藤のようなものもありました。
若かりし頃は、「オレってももしかして。。セコい?」と自問自答していた時期もありましたし。。

バブル華やかなりし頃は、外では羽振りよくふるまおうと見せかけても、酔っ払ってウチに帰って、小遣い帳(現実)に向かい合う自分。。1円単位まで今日の出費をつけてる自分。。

まあ、ミジメといえばミジメだったかもしれません。良き思い出ですが。。

その頃はもっと刹那的、破滅的な生き方に憧れていましたから。憧れているのにボロアパートでは小遣い帳をつけている自分、というのは、今考えればそのコントラストはオモシロいですね。

それともうひとつの葛藤のようなものは、私はただ、客観的に状況を把握するために家計簿をつけているわけで、それは「節約」のためではないのです。

なぜ、節約のためにならないのに家計簿をつけるか? と他人に問われたことがあり、そのときはけっこう考えましたね。「あれ? そういえば、なぜだろう?」と。。

何万円も浪費したときも、淡々と、その数値を家計簿にいれる。「いや~使っちゃったな~」と、把握はするけれども、反省はしない。いや、一瞬は反省しているのでしょうが。。 すぐに忘れます。

反省するために継続しているのではないのです。

ただただ、これを「やらねばならぬ」と思っているからやっているだけであって。

仮にムダだと思い、やめてしまったら、自分が苦しいのです。続けているほうが自分にとってはよいのです。

今になればなんとなくわかってきます。

直接的に「ダイエットのため」とか「節約のため」とかそういう理由付けができる行動というのは、わかりやすくはあるのですが、もっとも動機がアヤしいものです。

「イヤラしい」に限りなく近い。

それと、効率化の観点はほとんどウソです。

「節約のためにならないのであれば家計簿つけるなんてムダじゃない?」という考え方は、ウソだらけです。それを進言してくるヒトは、まず、家計簿の継続「すらできない」人間ということでしょう。

そのヒトにとっては、ムダなことイコールやりたくないことに過ぎません。そのヒトは、やりたくないことをどんどん生活から削っていったおかげで、何が残りましたか? 私のように「継続」ができている人間に対する嫉妬羨望しか残らないのではないですか?

やりたくないことをやらないおかげで余った時間がすべて、テレビなり、ゲームなり、「ケータイいじり」なりに消えてしまうのでしょう。それならやりたくないことをやったらいいのに。

こういう生き方も、哀れですよね。。

私にとっても家計簿は、写経と同じようなものなのかもしれませんね。継続力と身につけるための修行であれば、それは家計簿でなくともかまわないという。。