【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

仕事よりも家庭。。

2008-09-26 05:37:49 | IT思想的
ン十年、オイラなりにビジネス・シーンを俯瞰してきて思うのはね、仕事よりも家庭を優先する、っていう姿勢をみせることに対して「人権」がやっと認められてきたと思うのね。
まだそれが主流になってるわけじゃないけどさ。

でも、すごくいいことだと思うよね。やっと、企業組織のソフトな奴隷状態から、人格を持った一個人へ脱却しつつあるような。。

企業側も、昨今の奴隷に少しは自由を与えないと働かないということに気付いたのだろう。(ムカシとは違って)


いわゆる高度成長期には、オイラたちの上の世代は企業戦士としてものすごく働いていた、っていう「刷り込み」があるんだけど、オトナになってみるとそれにはすごく疑いを持っている。

なぜなら、オイラたちがガキの頃みていた風景の中で、勤め人のオトナたちは今よりも牧歌的だったような気がするのね。

夕方には家にいたような気がするんだ。

でもね、その代わり会社の行事は多かったんだろうね。たとえば社員旅行とかゴルフ大会とか。
そういう、結束を強めるためのなんとか、とか。
日曜日をすべて使って。(ムカシは、土曜も半ドンで仕事をしていた!)


今の時代は、会社からの拘束がゆるんだ分、サラリーマンはけっこう殺伐と働いているように思う。

だから、古きよき時代へのゆり戻しは、確実にきてるよね。無気力な若者を会社の行事へ取り込もう、みたいな。
皆を同じ寮に住まわせる、とか。楽しそうな会社行事を増やすとか。


逆に、なぜ高度成長期だけ突出して、日本中が働いていた、という刷り込みをさせられているのだろうか?

その後バブルを経て今の時代まで、サラリーマンはずーーーーーっと働いてるじゃねーか。一瞬たりともサボってねーだろ? サラリーマン世代は。

残業が減ったとかいわれてもそれは法制度上そうなっただけで皆、サービス残業してるよ。


オイラの同級生の卒論を思い出したんだけど。。

日本が、欧米と同じ労働時間になったならば、国際競争力をつけられるのだろうか?と。
日本は家庭を犠牲にして、会社が社員をソフトな奴隷として拘束してやっと先進国の仲間入りしている状況だが、欧米的な考え方にシフトしていったらダメになるのではないか、と。。

その論文のオチは忘れたけど、実際そのとおりになっている!
しかもサイアクなことに、考え方だけ、上っ面だけ欧米型にシフトしていきながら労働時間は高度成長期とゼンゼン変わらない!

ホント、ただのマネなんだよねえ。


オイラは、フリーターに甘んじている立場のヒトたちにも批判的だし、フリーターを「社員」として囲い込もうとしている動きにも何となく批判的なのね。

後者は、なぜかというと、ふたたびフリーターとやらを会社の奴隷として囲い込もうとしているように思えてならないんだよね。

年寄りの考え方はね、フリーターとやらは、個人的な理由をつけて定時できちっと上がるタイプ。会社のために滅私はしないドライなタイプ。
それを社員で囲いこめば、テメー勝手な理由で家には帰さねーぞコノヤロー、会社の行事には参加しろよオラァ、っていってるような気がしてならないんだ。

やっぱり「ソフトな奴隷」だよね。。


それは、何かおかしい。「正社員ではたらこう!」という啓蒙活動は、ゼッタイアヤしいんだ。
だって、終身雇用が崩れて、正社員の真のメリットを誰も提示できないんだから。


オイラのギョーカイにひきつけて考えると、正社員の仕事っていうのはワーカー(外注)なり下請けの管理的業務に収斂されてゆく。
それってオモシロいか? そんなんでエンジニアの醍醐味を味わえるかっての。

「社員」とやらになって、そんな仕事ばっかりしたいか?
違うと思うんだけどなあ。

「天職」論とあわせてばーっと書いてみたけど、もう少し、深く考えてみないといけないなあ。