【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.098

2007-06-25 07:11:23 | メルマガ移行
このメルマガも100回に近づいてきました。
第一号は2006/12/5となっており、ざくっと計算すると、半年ちょいで100回、つ
まり、平均すると2日に1回のペースで発行していることになります。

最初は日刊で、その後、息切れしましたが。。
マァよくやっているほうではないかと。

とりあえず100回で一区切りとします。


ところで今日のお題ですが。。

好きな仕事に没頭して「何年も旅行にもいってない」という状態は最高にカッコいい
のではないか、と考えます。

年に一回旅行に「行かなければならない」という国民の義務はないですし、
たまに旅行に行くという妙な余裕がカッコいいとは思えません。
そんな、マスコミに洗脳されたことにすら気付いていない「余裕」を持つぐらいなら、
好きでもない仕事に拘束されて旅行にもいけない、ほうがまだマシです。

これからの時代のキーワード、トレンドは「没頭する」とか「続ける」とか、
そういうあたりにあるということには、気付きました。気付いて、はて、どうするか。。

でも、気付かないよりは、よいです。




-行ってなかったところにいける

海外旅行などにカンタンにいけるようになったことの弊害というのは、
カンタンであるがために計画性がなくなりつつある、というか。。
そのへんの駅前の旅行会社にふらっといって、空いてたらパック予約して、
お金はキャッシングやカードで準備して、身支度はカンタンにすませて。。と、
すぐ行けてしまう。

という現実があるということは「旅行なんてすぐにいけるもの」ということになり、
「旅行に対して綿密な計画を立てていくのはカッコ悪い」という風潮に変化してゆきます。

その計画を立ててゆくなかで、貯金していたものです、以前は。

それと、計画を立てている段階がいちばん楽しい、というのはよくいわれることです。


という話が本題ではなかったのですが、最近、行こうと思ってなかなか足を運べなかった
ところ(近場)にさくっと行けて、小さな幸福感を感じているのです。

自分のB・C級グルメ道も似たような感じです。
行きたいところ(宿題店)が常にいくつかあり、時間に都合をつけて、わざわざ電車を
乗り継いでいくという過程や、「行けるということ」そのものに対して幸福感があ
ります。
それで、食べたものがおいしかったらベストですがそうでないこともあり。。 
でもそれはもっとも重要な要素ではありません。

まず「行きたい」という欲求が満たされるということ。
食べ歩きであれば、健康であるからこそできるということ(健康への感謝)、
ある程度小遣いがあるからこそできるということ(働けるということへの感謝)、
などなどが幸福感を形成する要素です。

自分の「活動」についていえば、まず、都心に住んでいなければ都心のスポットには
さくっと行けないわけです。
ですので、住んでいる場所への感謝というのもあります。それが地元意識にもつながってきます。

それと、都心に住むという決断をし、実行した過去の自分に対する感謝です。
これが自分の精神的安定の基礎になっています。
「自分の行動は(いろいろいわれたりしたけど)やっぱり間違っていなかった」という確信。


こうやって感謝、感謝をしてゆけば、「産んでくれた両親に感謝」までたどりつけるのでしょう。

でも「この自分を産み、育んでくれたmother earthに感謝」とまでなったら
やりすぎのような気がします。
日本という国に感謝、までならいいかな、と。

自助努力を続ける覚悟がある人間にとって日本、東京、都心というのは非常に暮らし
やすい場所になってゆくでしょう。


また脱線。。
ホントにいいたかったことは、行動可能な範囲で幸福感を得られるように自己設定が
できていないヒトたちはカワイソウだな、ということです。
皮肉もこめて。。

自分の身の丈(可処分所得?)をわきまえずに、洒落たイタリアン、フレンチで
ディナーしなければ幸福感を味わえない、あるいは、海外でブランドものを漁らないと
幸福感を味わえない、とか。。

具体的には、数百円、数千円の出費と自分の「足」で稼げる行動範囲で幸福感を
得られるようにしておけばそれで十分ではないか、と思うのですが、マスコミに
煽られ続けているとそうもいかないのでしょう。


旅行もそうですが、マスコミに煽られて出費を「させられている」ということに気付かなければ。。

マスコミの巧妙な広告により、庶民のサイフからお金を巻き上げることで、この国の
経済は循環しています。

広告の妙は、その出費を苦痛と思わせないところにあります。
瞬間的に幸福感をもたらすこともありますが、それは長続きしません。

そして、ヒトビトは、お金を浪費するのが当たり前の状態に陥っていきます。
「日本は豊かなのだから、自分も浪費したっていいだろう」と。。

おカネを使うなといっているのではありません。マスコミに乗せられて、ムダなところに
おカネを使いすぎなのです。

自分は何にお金を集中させるべきか、どうすれば最大の費用対効果(満足感、幸福感)を
生み出せるのか、は、マスコミの情報の洪水をたくみに避けながら、自分のココロに
耳を済ませないと、わからないのです。

逆にいえば、自分を満足させる手段は自分しかわからないのです。
マスコミが決めてくれるわけではありません。


対外的な「自分探し」は旺盛に行うのに、自分のココロに向き合うことから逃げているうちは、
継続的な満足感、幸福感は得られません。
真の答えは内面にあるかもしれないのです。