【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

人間の欲望の変遷

2009-04-02 05:44:31 | IT思想的
ウチは、自宅にはゲームの類はいっさいおかない。ゲームってのは、ムカシのコトバでいういわゆる「テレビゲーム」のことね。

コドモたちは、田舎に帰省したときにゲームを楽しんでいる。
そして、これからは、トモダチんちに行ったときなどにゲームを楽しむことになるのだろう。そこまで親が禁止することはできない。

ところで、先日帰省したときに、コドモがやってるゲームをぼーっとながめてるとね。。
人間ってのは二次元であれば、どんな状況でも展開できるんだなあ、と。。

ゲームじゃないけど、しばらく前に流行った「SecondLife」っていうのもそうだし。
二次元に、自律的に状況が動く別な生活をつくりあげることができるんだからねえ。あれはもう、「夢」に近いよね。
(ムカシ、これについて言及したことがあるような気がする。。)


ゲームとか、RPGとかを妄想して、そして二次元の中の現実としてつくりあげてゆく人間の想像力、そして、「つくりあげる」という実行力には敬服するしかないわけだが。。

でも、それだけでなくて三次元(リアル)も、カメの歩みで(二次元と比べれば、のハナシ)「人間好みの現実」に人間が変えてきた。

欲望というのはオソロしい推進力になる。
人間の物理的生活が豊かになってきたのは産業革命以降だろうから、たかだか数百年ってとこだろう。人間が立ち上がってから何万年たってんだかしらないけど。。
ここ数百年の動きがあまりにめまぐるしいのだが、トータルで考えれば数万年でここまできた、と。

人間の進化、というか、周辺を人間好みに変えて(ハカイして)しまうパワーというものは、ほぼ欲望と比例するのであるから、人間はここ数百年でオソロしく欲望を進化させてきたということなのだろう。

そして、欲望というのは妄想力のようなものだ。

今、オイラたちはインターネットによる革命の真っ只中にいて、人間はさらに爆発的に欲望をあらわにしているような気がする。

バーチャルもリアルも、ここ10年でオソロしく変わっている。特に東京は。
年寄りはおそらく、この変化には気付いていない。インターネットが、とかケータイが、とか表層のツールのところしかみていない。

オイラはたまたま、「IT」というかりそめのギョーカイに身をおいているおかげで、時代の変化をつぶさに観察することができている。という意味では、最底辺層に身をおかせてもらってよかったかもしれない。

とにかく、いわゆる「昭和」と比べても人間の、いや日本人の「欲望」というのはストレートに現実になってゆくスピードが速まっている。
欲望が、カンタンに現実になっちゃう(ようにみえる)から、人間はますます欲望をあらわにする。それは、仕方ないことだ。

だから、今の時代と昭和を比べて「ムカシはよかったなー」なんて回想してみても、意味なんてまったくない。

欲望をあらわにすることに嫌悪感をおぼえるヒトたちは、ムカシのほうがよかったとため息をつくのだろうけど、そういうヒトたちだって現代社会のスピードの恩恵を相当に享受している。そこにほっかむりすることはできない。

ムカシになんかもどれやしないんだから、ムカシはよかったと嘆くのが無意味だといっている。