【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

社会人としての常識の欠如のはなし

2007-07-08 06:50:00 | 「社会人として!」といったようなコト
仕事をサボタージュする人間は職場では確かに嫌われるが。。

自分も、そういう奴がチームにいたらホントムカつくとは思うんだけど。。
仕事に「殉じる」のもオカシな話だと思うんだよね。

もっとドライにさ、仕事というのは会社の利益に直結すればいいわけでしょ。直結しないことをやっていてもモチベーションは伸びないわけだ。

直結しないことをサボタージュするのは、結果さえ出せばいいと思うんだけど。。組織の中ではそういうわけにはいかない。
たとえ結果を出していたとしても「常識の欠如!」攻撃をされてしまう。

これは、自分が日記のほうで書いている「ココロのセマいヒト!」理論と全く同じだな。

仕事をサボるのが常識の欠如か? っていうと必ずしもそうでもないような気が。。

その現場では常識知らずなのかもしれないけど。。 「世の中」という観点ではどうか。

でもまあ、結果を出してないんだったらダメダメだろうね。


確かに、誰かがサボると皆が困る、という「連帯」を考えるとサボるのは「空気読めよ!」ってことになるんだろうけど、その空気自体がオカしくねーか? と反論されたらどうか?

結果を出してないヤツだったら結果を出せ、で終わりだけど、結果をある程度残してるヤツが、自分のやりたくない仕事をサボタージュする図だったら? リーダは果たしてどうする?

そういうときに使われるのは「他のメンバーの士気の低下」ってやつね。
つまり、オマエだけ結果を残していても、全体最適化という観点から見ると、他のメンバーのモチベーションを低下させる行動は困る、と。慎めと。

それに対して「じゃあみんなも結果は出しつつ好きにやればいーじゃん」といわれたら?

そういうときは、「皆が好きにやれば、『やりたくない仕事』は皆が同じだから、それだけが残ってしまう。『やりたくない仕事』は誰がやる?」という話に持ってゆくしかないんだろうね。

まあ、当番制にするとか。。

確かに、皆が好き勝手やってその結果として全体として生産性が上がってりゃそれが理想なんだけどさ。。