話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく (PHP文庫) (文庫) 長尾 剛 (著)
この本は相当、作者の恣意的な感情が入り込んでいるような気がしてならず、正直面白くはなかったのだが。。
この本の中に以下のような記述がある。
「世の中に何の働きもすることなく、平然とフン反り返っている者ども」
こういう「者ども」を西郷どんは相当キラっていたらしく。。
それともうひとつ、
「人を容れ、人に容れられては、済まぬ」と。
つまりは、ギブ&テイクの関係を求めてはダメである、と。
何かを施したり相手に働きかけたりするときに見返りを求めてはならぬ、ということだね。
でも、昨今は「当然」見返りを求める姿勢も、肯定されているような気はする。
おそらく西郷どんは、ビジネスにおいてすらもギブ&ギブで、見返りを求めてはいかん、と言うのだと思うけど。。
結局何が言いたいか、何をこの本から感じたかといえば。。
「世の中に何の働きもすることなく、平然とフン反り返っている者ども」
を反面教師とする、というのはそのとおりだと思う。
でも、自分はエラいのだ、スゴいのだ、とココロの中に留めて思うのは、いいと思んだな、オイラは。
ただし、そう思うのであれば、その能力を惜しみなく世の中や他人に還元しなければならない、ということ。
自分がエラい、スゴいと思うのであればそれを見せつけてよいのだ。ただし他人を不快にしてはまったくダメ。
そのスゴい(らしい)能力により周辺や近しい他人をちょっぴり幸せな気分にさせることは、カンタンなんだろ? やってみてくれよ! ということ。
周辺や近しい他人を不愉快にさせることなど、誰にでもできる。だけど、周りを愉快に、幸せにさせることは、実は「エラい、スゴい」ヒトしかできないのだ。。
自尊心が肥大化してくるとなぜか、それが表出せずに、「自分だけよければよい」という考え方になってゆく。若干不思議だ。なぜなのだろう?
才能のある人間はそこが問われるんだな。才能があってもそれを世の中に還元しない(できない)人間はたくさんいる。
皆が皆、能力なりパワーなりをシェアする精神を持つことができれば、もっとリアルな意味での「豊かな国」になってゆくんだろうなあ。
この本は相当、作者の恣意的な感情が入り込んでいるような気がしてならず、正直面白くはなかったのだが。。
この本の中に以下のような記述がある。
「世の中に何の働きもすることなく、平然とフン反り返っている者ども」
こういう「者ども」を西郷どんは相当キラっていたらしく。。
それともうひとつ、
「人を容れ、人に容れられては、済まぬ」と。
つまりは、ギブ&テイクの関係を求めてはダメである、と。
何かを施したり相手に働きかけたりするときに見返りを求めてはならぬ、ということだね。
でも、昨今は「当然」見返りを求める姿勢も、肯定されているような気はする。
おそらく西郷どんは、ビジネスにおいてすらもギブ&ギブで、見返りを求めてはいかん、と言うのだと思うけど。。
結局何が言いたいか、何をこの本から感じたかといえば。。
「世の中に何の働きもすることなく、平然とフン反り返っている者ども」
を反面教師とする、というのはそのとおりだと思う。
でも、自分はエラいのだ、スゴいのだ、とココロの中に留めて思うのは、いいと思んだな、オイラは。
ただし、そう思うのであれば、その能力を惜しみなく世の中や他人に還元しなければならない、ということ。
自分がエラい、スゴいと思うのであればそれを見せつけてよいのだ。ただし他人を不快にしてはまったくダメ。
そのスゴい(らしい)能力により周辺や近しい他人をちょっぴり幸せな気分にさせることは、カンタンなんだろ? やってみてくれよ! ということ。
周辺や近しい他人を不愉快にさせることなど、誰にでもできる。だけど、周りを愉快に、幸せにさせることは、実は「エラい、スゴい」ヒトしかできないのだ。。
自尊心が肥大化してくるとなぜか、それが表出せずに、「自分だけよければよい」という考え方になってゆく。若干不思議だ。なぜなのだろう?
才能のある人間はそこが問われるんだな。才能があってもそれを世の中に還元しない(できない)人間はたくさんいる。
皆が皆、能力なりパワーなりをシェアする精神を持つことができれば、もっとリアルな意味での「豊かな国」になってゆくんだろうなあ。