【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

休むのもスキルだ!(4) 「自由」

2009-12-13 06:16:00 | メルマガ移行
【my格言】
-区役所に行ったときに、窓口の向こう側にいるヒトたちを見ると、「モラトリアム」。。 というコトバがアタマをよぎるのはなぜなのでしょう。(20070709)

(格言と本文とはほぼ、関係ありません)

 
 
おつかれさまです、龍澤です。

 
 
学生と違い、社会人は、休暇はある程度自分の裁量できめることができる。
なんて自由なんだろう、と思うよ。

大学生の頃、自分の判断でゼミや授業を休んで(サボって)いた、とムネを張るヒトたちがいるかもしれないけど、それはただの釈迦の掌の上の孫悟空である。
それに、「サボる」って行為は決して自慢すべき、そして賞賛されるべき行為じゃないっしょ。

 
社会人が、自分で仕事を調整して、休暇を取得する。上司の冷たい目線をかいくぐって。。
これこそが「自由」なんだよ。
もちろんリスクも、背負う。上司の冷たい視線よりも、その向こうのエンドユーザとかのことを考えて仕事を調整しなきゃね。

  
学生は不自由だけどラクなんだよ。
社会人は自由だけどツラいの。
どっちを選ぶか? ってアンケートをとったら、学生に戻りたい社会人って何パーセントぐらいいるんだろうね。。

 
半ば強制的に、「有給を消化せよ!」と夏冬に連続休暇を「取得させられる」のなんて、まったく自由じゃない。
すげーキラいなんだなあの「連続休暇取得奨励」制度って。夏冬の1wずつの休暇ぐらい、なんで会社が社員にプレゼントしてやらないのか。。 会社という存在の「器」の小ささを露呈している。

 
  
ところで。。
有給休暇をきっちり、効果的に取得すれば、無遅刻・無欠勤(予定休暇をのぞく)は実現できるよね。
まァ忌引や家族の有事はあるだろうけどそれは例外として。。

自分の「ライフサイクル」を本気で考え、自分の習慣を安定させて、かつその中で有給休暇を自分のリフレッシュ手段として有効に活用してゆくようにすれば、「ブレ」(遅刻だの突然の休暇だの)が減ってゆくのは自明だ。

と、僕は確信しているのだが、先日なんかの打合せで、「有給きっちりとればいいんじゃないすか?」「なんで皆さんとらないんですかね?」って思わず発言してしまったんだよねー
(最底辺層に棲息するフリーの分際で、会社員のみなさまに対して出すぎた発言をしてしまいました)

 
それは確か、チームメンバーのモチベーション低下を阻止するにはどうしたらいいか? みたいな話し合いで。。
つまり、とあるメンバーのモチベーションが低下すると、てきめんに、遅刻が増えたり「体調不良」による休暇が増えたりするわけね。
そうすっと仕事に穴が空くので他のメンバーも困る。負担が増える。で、他のメンバーもドミノ倒し的にモチベーションが低下してゆく。。

リーダ、マネージメントレベルも、そういう事態に陥ると胃が痛くなってくる。。

なんでこうなってくるかって有給を取得する権利がないがしろにされてるからでしょ。(そんなことは僕に指摘されなくとも皆わかっている)
メンバーは「休みたくとも、休めない」と文句をいい、上司は「進捗に遅れが生じない程度に休むべし」という。
つまり、上司は部下の自己管理能力に暗に文句をいってる。

だからさ、上の人間は、下の人間がまとまって休みをとるっていうときに、ロコツにしかめっつらすんなよ、と。広いココロで「リフレッシュしてこい、楽しんでこいよ!」と送り出してやりゃいいのに。。
「休みをとりたいのですが」というと、きまって「それはかまわないけど。。仕事のほうは大丈夫か?」とチクっと刺す。

何か上申するたびにチクチク刺され続けると、部下は上司を自分の敵だと思う。アタリマエだよな、自分を刺しにくる相手なんだから。
やがて、敵(上司)に対してでなく第三者に対して、「ウチのチームは休みがとりずらい。。」とグチることになる。それは、自分の属する組織の上司を暗に批判している。

このような状況に陥るのを防ぐには、上の人間が率先して有給を取得すりゃいいわけだ。(これも、僕なんかにいわれなくとも「上の人間」は皆わかっている)

上の人間がガンガン休暇とってりゃ、部下は若干あきれるかもしれないけど、「ああ、ああいうふうに休暇とってもいいんだ」って、気が楽になる。部下の気を楽にさせるのも上司の仕事だよね。

上にアソび心、そして「余裕」がないと下の人間も息がつまる。上の人間は、たとえ仕事でテンパっていても、周りには自分が余裕しゃくしゃくであるかのようにふるまう演技力も必要なんだよね。

 
 
さて、僕がそういうことを申し上げたらそうとう反感を買ったらしく。。
「オレだって、有給きっちりとれるんならとってるわい」「自分の裁量で休めるんだったらオレだって計画的に仕事進められるぜ」「結局、風邪引いてぶったおれたときに有給をつかっちゃうから、そゆときのためにキープしときゃいいんちゃう?」
などなど。。 ハナシはネガティブな方向に盛り上がった。

こういうリアクションを聞いてるとね。。もう僕のような最底辺の、いつ路頭に迷うかわからない人材とは、立ち居地からして違うのです。

有給を「とれない」という事実、および「イソガシい自分」に酔ってしまっていて。。

きっちりメリハリをつけて休む、休むときは休む、働くときはきっちり働く、ということが、それは自分で切り開くものである、というアタリマエの事実を、知らないのだ。

「切り開く意志がなければ、切り開かれない。誰もそれを代わりにやってくれない」ということなんです。

切り開く意志と実践力があれば、時間はかかるかもしれないがやがては実現できる。経営層はそういう「主体的に切り開いてゆく」人材のほうが、従順な人材よりも、好きなのだ。そういう若手、中堅をかわいがりたいと思うものだ。

そして、以前(「昭和の時代」)よりもその傾向はいっそう、強まっているのです。良くも悪くも。。

 
「主体的に切り開いてゆく」ことを実践してゆけば当然「出る杭は打たれる」状態になる。でもその不遇の時期を越えればやがて打たれなくなる。ただの我慢比べなのだ。杭が引っ込むまで打ち続ける人間が勝つか、打つのを止めるまで出ようとし続けるほうが勝つか。

そして、「ひとつの風景となって、周りと調和し、打たれなくなった杭」となった人材を、上のヒトたちは重宝するようになる。

 
ありていにいえば「一生懸命」仕事をするということ、それに尽きます。「一生懸命」とは、ただ自分で「自分は一生懸命仕事している」と自己満足に浸って酔うのではなく、常に自分を客観的に見つめて、一生懸命さが結果に結びついてゆくように自分を微調整し続けること。

そうすると(不思議なことに)、「一生懸命」仕事をするということは利他的に仕事をするということに収斂されてゆく。
たとえエンドユーザの喜ぶ顔が直接みれない仕事であっても、同じギョーカイの周辺、自身のまわりから「利他的」を実践してゆけば、それでいいのだ。

 
利他的を実践してゆくと、ビジネス・シーンでは最初、相手にナメられる。なぜなら、その相手は利己的だから。利己的な人間に利他的なはたらきかけをすると、相手はこちらをとことん利用しようとする。
ビジネス・シーンに棲息する人間たちのほとんどは(未だ)利己的な存在だしね。

そういうときに、どうするか? というと、それも、「出る杭は打たれる」理論と同じなのだ。相手が変わるまでその相手に対して利他的な行動を実践し続けること。やめてしまったら意味がないのだ。

僕は個人的に、優しい人間ではないので、僕が利他的にはたらきかけたときに僕をとことん利用しようとした人間を、忘れない。やがてその相手と「雪解け」を迎えたとしても、どこかで必ずその相手を利用させてもらうよう努める。
ビジネスは「ギブ&テイク」の世界であることも自明であって、優しい(「お人好し」という意味)だけではビジネス・シーンを泳ぎ続けてゆくことはできない。
利他的とは優しいということではないのだ。

ところで、ビジネスにおいてなぜ利他的にふるまわなければならないか? というと、それは、味方をつくるためである。(味方と「仲間」は微妙に違うのだけれど)
なぜ味方をつくる必要があるかというと、それは、複数の人間でないと大きなことができないからだ。ビジネス・シーンを独りよがりで泳ぎ続けていてもいつかは疲れて溺死してしまう。
職人は、このたとえでいえば技術という「浮き輪」をもってるわけね。だから、独りでも生き延びることができるのだ。