【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

カネの使い方

2009-04-25 07:46:51 | 自分のこと、とか
昨日はせっかく書いて、更新しようと思ったらタイムアウト。。
障害だったんだろうか。

昨日書いていた文↓


オイラは、下着はヘタるまで使う。それはもう、惨いぐらいだ。

ただし、必ずそうするわけじゃなくて、色がキタナいように見えてきたら即見切りをつける。
そのへんは、潔い。

でも、ゴムとか布がヘタっているぐらいのときは、替えない。



オイラは、それは、アタリマエのことだと思っている。セコいとか貧乏くせーとか、そういう問題じゃないと思う。昭和の時代に育った人間の当たり前の感覚を残していると、自負している。

そして、生成されたモノはヘタるまで使うのが、エコだろう。ということは、オイラの言動は現在のトレンドそのもの(のはず)ではないか。


ムカシっから、「見えないところに『こそ』カネをかける」とか、ファッション誌等のそういう煽りがものすごく好きじゃなかった。

煽られるのもイヤだったけど、そんなことより、そもそも自分はビンボーだったからなあ。。
見えないところになんて、カネかけられるわけねーだろ! みたいなね。。

バブルの頃。。



別にオイラは、はっきりいって、今、そういう生活(見えないところにカネをかける)をできるぐらいのカネは、あるよ。

あるけど、別にやらない。
煽られて言うとおりにするのが、イヤなのだ。

そのカネをどう使おうとオイラの自由だ。
オイラの年収がいくらあがったところで、オイラの肌着はずっとボロだし、どっかのスーパーとかドンキホーテとかでもっとも安いものを買って使っている。

そういう自由もあるし、「四畳半に住んでクルマは外車」という自由もある。
どちらも同じだよ、根っこは。

結局、どこに資本を集中させるか、ということだよ。ほとんどの凡人は、インナーにカネをかける資格すらない。

我々は、自分のこれだと決めた方向に極端にカネを集中させて使い、満足感を得るべきなのだ。