苫米地英人さんの本を読んでいたのだが。。
中学生だか、自殺して、「オレは生まれ変わってビッグになる、現世じゃダメだ」(この世界じゃダメだから、死なないと)みたいな遺書を書いたんだって。(文章は正確じゃないけどね)
中学生というか若者がそういう考えでいるのは、相当マズい、と、その本には書いてあった。
これは確かに、マズいよねえ。生まれ変われるから、とりあえず自殺しとくわ、みたいなことを、平気でやる。
それを許容する世界。
つまり、誰もが「ノーマル」だと信じて疑っていないこの一般社会が、知らず知らずのうちにオカルトチックになってきてる、ってことね。
ま、現世でダメダメだったら来世でも、ビッグになる保証はほぼないんだが。。
現世が生き地獄ならば来世は「まだまし」とは思うだろうなあ。。
ずーっとムカシから、若い子の自殺ってのはあって、「死んだほうだまだマシ」っていう考えが支配していたんだけど、「来世にビッグになるために死ぬ」っていうのはね、ちょっとニュアンスが違う。
後者はミョーに積極的でしょ?
そして後者は、もしかしたら、現世にそれほどの不満はないのかもしれない。
この世界では凡人では生きれるけど、ビッグになれる見通しがないから、とりあえず死んどくか、ってね。
絶望感がないのが逆にオソロしいというか。。
もっと問題なのは、「そんなことはゼッタイにない!」とオトナとか社会が言い切れないとこなんだろうね。
ビッグになろうと思って自殺して、来世が虫だったらどうすんのかね。とか、そういうリスクは考えてないのかなあ。
読んでいて思い出したのは「転職」なんだよね。
今の仕事がなんとなくイヤだからとか、そういう理由で転職したところで、新しい職場でも結局同じことになる可能性がきわめて高い。
転職っていうのはね、おそらくもっとも大事なのは、転職先に「望まれる」ことなんだよね。こっちが、アピールしてさ。
「死」の話にひきつけると、どんどん自殺するのはいいけど、「来世」とやらに望まれている人材なんだろうか? と、
来世で望まれるような人材は現世でも望まれるだろうし、そういうヒトは天寿を全うしてから「あちら」に行ったほうがいいんじゃないだろうか。
中学生だか、自殺して、「オレは生まれ変わってビッグになる、現世じゃダメだ」(この世界じゃダメだから、死なないと)みたいな遺書を書いたんだって。(文章は正確じゃないけどね)
中学生というか若者がそういう考えでいるのは、相当マズい、と、その本には書いてあった。
これは確かに、マズいよねえ。生まれ変われるから、とりあえず自殺しとくわ、みたいなことを、平気でやる。
それを許容する世界。
つまり、誰もが「ノーマル」だと信じて疑っていないこの一般社会が、知らず知らずのうちにオカルトチックになってきてる、ってことね。
ま、現世でダメダメだったら来世でも、ビッグになる保証はほぼないんだが。。
現世が生き地獄ならば来世は「まだまし」とは思うだろうなあ。。
ずーっとムカシから、若い子の自殺ってのはあって、「死んだほうだまだマシ」っていう考えが支配していたんだけど、「来世にビッグになるために死ぬ」っていうのはね、ちょっとニュアンスが違う。
後者はミョーに積極的でしょ?
そして後者は、もしかしたら、現世にそれほどの不満はないのかもしれない。
この世界では凡人では生きれるけど、ビッグになれる見通しがないから、とりあえず死んどくか、ってね。
絶望感がないのが逆にオソロしいというか。。
もっと問題なのは、「そんなことはゼッタイにない!」とオトナとか社会が言い切れないとこなんだろうね。
ビッグになろうと思って自殺して、来世が虫だったらどうすんのかね。とか、そういうリスクは考えてないのかなあ。
読んでいて思い出したのは「転職」なんだよね。
今の仕事がなんとなくイヤだからとか、そういう理由で転職したところで、新しい職場でも結局同じことになる可能性がきわめて高い。
転職っていうのはね、おそらくもっとも大事なのは、転職先に「望まれる」ことなんだよね。こっちが、アピールしてさ。
「死」の話にひきつけると、どんどん自殺するのはいいけど、「来世」とやらに望まれている人材なんだろうか? と、
来世で望まれるような人材は現世でも望まれるだろうし、そういうヒトは天寿を全うしてから「あちら」に行ったほうがいいんじゃないだろうか。