【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.239

2008-10-13 06:00:48 | メルマガ移行
流行を追うということは、皆と似たような格好をしようという動きであり、ということは、そっくりな自分に出会う確率を高めようとする行動なのでしょうかね。

そっくりな自分に出会うと人生の目的が達せられたということで死に至らしめられるという話も聞いたことがあります。






-死を間近に見るイコール「イニシエーション」(20070815)

中沢新一さんの発言によれば、古来より若者のイニシエーションの儀式として「山に籠る」というのがあったそうで、それはすなわち「仮死状態」を通過することなのだそうです。

で、イニシエーションが済んだ若者は、村に戻り、「文化の担い手となる」そうです。

ということは逆に言えば、イニシエーションしなければ、すなわち真の意味で成人しなければ文化の担い手とはなれない。

私の持論にとっては追い風の話ですね。
私は山に籠ることはしませんでしたが、不可避的に仮死状態を通過してきましたので。。


それにしても文化の担い手か。。

「文化の担い手」で思い出しましたが、オタキング岡田氏(名前を忘れてしまいました)の説によれば、クリエイターというのはもうすぐ絶滅するそうです。
自分は、「クリエイター」のような横文字職業に強烈な違和感を持っているので、この持論はすっと入ってきました。
肩書きだけの「クリエイター」が減るということではありません。偽「クリエイター」の役割として、「カンペキに近いコピー」を求められるようになる、ということです。

つまりはオリジナリティの消滅。消滅とは、求められない、受け入れられないということです。
クリエイターが行う作業は、「創造的」であってはいけなくなる。
それにそもそも、クリエイターが創造的と思っていてもそれはすべて出尽くしたことである、と。

本来文化の担い手となるべき、「イニシエーション」を通過した若者が減っているから、クリエイターも減り、やがて絶滅する、というのは案外ありうるかもしれないですね。


そこに私の持論を付け加えさせていただければ、オリジナリティは消滅しないと思います。
オリジナリティや創造的(クリエイティビティ)はルーティンワークの「超延長」に必ずある。

偽「クリエイター」が得意とする「一瞬のひらめき」的なところからは生まれなくなる、ということです。