【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

不況を言い訳にし続ける会社(と社員)はダメでしょ

2010-01-10 06:56:00 | メルマガ移行
【my格言】
-なぜ世の中がマニュアル化しているか? それは、マニュアルがないと仕事にならないレベルの人間がが増えてきたという証左である(20070829)

(格言と本文とはほぼ、関係ありません)

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 (4週間掲示します)
 
 
おつかれさまです、龍澤です。

 
 
僕は昨年の後半ぐらいから、このギョーカイにおいて「不況だから」という言い訳をし続ける会社、経営者、あるいは組織、団体、個人は信用しないことにしました。
まァそんな宣言をしたところで「なにさま?」なのでしょうが。。 このギョーカイにおいて、浮遊するチリほどの存在である僕(ら)がそう思ったところで状況は変わらないだろうし、言い方を変えれば、この状況に対して僕(ら)がどういう考えを持とうが自由だ。
 

「不況だから」という言い訳が「異常に」使い勝手がよいから、これにどっぷり依存してしまうか、あるいは現場レベルで脱却しようとしているかどうか? が、このご時世において企業体力、および将来性を測る判断基準となりうるだろう。
前者がこのご時世では多数派、後者が少数派である。つまり、あえて少数派に属する勇気があるかどうか? ということだ。

 
会社側が言い訳をし続けるならば、そこに属する会社員も同じレベルだ。逆に、社員に言い訳体質が蔓延している会社は、経営層の方針がどうあれ、その会社自体が言い訳体質と考えてよい。
ひとつ確実にいえるのは、「不況だから不況だから不況だから」と念仏を唱えている企業、あるいはその企業に属する個人は、それが言い訳になっているうちは変わらない。変わろうとはしない。

 
だが、企業の経営層にとってはこの慢性的な不況感、閉塞感は相当リアルに感じ続けているだろうし、「不況をポジティブにとらえよう!」「カイゼンしよう!」「今が変わるとき!!」と必死で号令をかけているようなのだが、下がついていってない。

上は、号令をかけるだけ。「あとは考えろ」と。そして保身に走る。せめて定年までは安泰でいさせてくれよ、と。。
自分らは保身に走るくせに、下に対しては「オマエら何も結果出せないときはリストラもありうるぞ」と、脅しをかけておくのは忘れない。

「考えろ」と命令されたほう(主に管理職が該当する)は、思考停止。
上が保身に走れば下も真似する。管理職も事なかれ主義で、さらに末端に押し付けようとする。

末端は、従来の「オレたちはサラリーマンだから、結局は上に意向に従わなければならない」という、水戸黄門の印籠のような言い訳を持っているが、それに加えてさらに「不況だから、仕方ない」という強力な言い訳が加わっている。
末端の人間こそ「不況だから」という異常に使い勝手のよい言い訳があるうちは、動かないのだろう。

上層部も管理職も保身に走っているのをみれば、自分らも会社に忠誠を尽くそうなんて思わないだろう。せいぜい、上からの命令は適当にあしらって、自分らは転職先を探すのに精を出すようになったり。
「クビにするならどうぞ?」ぐらいな開き直りで。

 
そして。。
僕らはそれらの会社たちのさらに下請け、超零細であり、不況に毒されてモチベーションを低下させている企業の末端たちと付き合いをしなければいけないわけで。

今、このギョーカイは「不況」というコトバに踊らされ、ほとんどの会社が信用ならない状況だけど、残念ながら信用できない企業とも取引をしなければならない。
それが僕らの仕事だからね。

だが、ココロの中で軽い失望感をおぼえながら取引先と取引してもバチはあたるまい。信用ならない会社に対しては、誠意を見せようとは思わないけどね。

 
 
ひとつ、予言をすることができる。

今「不況だから不況だから不況だから」と念仏を唱えている企業は、今後景気が上向き加減になってきたらどうなるか? といえば、「まだ予断は許しません! いまだ厳しい状況です!!」と、いつまでもいつまでも不況感を煽り続ける。

なぜなら、「不況」という言い訳ができないと困ってしまうからだ。
不況という状況が実はぬるま湯であって、不況を言い訳にしているヒトたちはいつまでもいつまでもぬるま湯に浸かっていたいと願う。

不況という言い訳があるうちは、乾ききった雑巾を絞るようにコストカットを続けられる。クビも切り続けることができる。社員に対して「この不況でも雇ってやってんだ ありがたく思え」と、不当な労働を強要することができる。
そう考えると、「ぬるま湯」というよりは一種のカンフル剤、麻薬のようなものかもしれない。。

 
景気が上向きになってきているときに、それに対応した新たな施策を打たないまま、そういう企業は当然取り残される。(ザマぁみろ、だよね、正直)
そういう企業は、「先進性がない」というレッテルを貼られることになるだろう。

新たな施策を「打つ」とは、「打て」と指示出しをして終わりではない。それが行われている状態のことだ。
企業の上層部は、施策を打とうとするだろうが、それが組織全体に浸透するかどうか。そこは上層部の腕の見せどころであるはずだが。。
うま~く責任逃れをしようと画策するヒトたちは多いようだ。

  
好景気が確実になってきた頃にやっと、「我々もこの好景気に乗り遅れないよう、がんばってまいりましょー!!」なんていって、後から必死こいて追いかける。
もう遅いのに。。

 
 
結局、これまでもずっと、いわれ続けてきたことなんだけどね、
状況が悪化してきたときに、とことん「工夫」をするか、安易にカンフル剤を打つ(たとえば、社員を第一に考えないヒト減らしとか)か、どういう対応を行うかで、企業組織の化けの皮は面白いようにはがれてゆく。

特に下請け的な会社に顕著なんだけどね、不況だからという言い訳とともに、自分の会社の業績が悪いのは「上が悪いから」の一点張り。
何も工夫をしようとしない。

こういう会社は、好景気のときは「上のおかげ」とはいわずにまるで自分たちの手柄のように吹聴するんだよなあ。
下請け体質が染み付いてる会社は、みていて醜い。

で、僕らのような社会的弱者が取引させていただいているのはこういう下請け的な会社、あるいは、下請け的体質が染み付いてる会社がほとんどなんだよね。

1年ぐらい前は、「不況」という状況に対して「いい迷惑だ!」と怒っていたのだが、昨年後半ぐらいから矛先が変わってきて、不況という状況は別によくも悪くもなくて(つまり、雨だの雪だの、天気のようなもんだね)、それを言い訳にするヤツらのほうがホントの問題なんだなあ、と考え方が変わった。

そしてその考えはおそらく間違っていない。
ギョーカイ全体を覆っている閉塞感がまったく晴れないのも、カネの巡りが悪いからじゃなくて、言い訳体質にどっぷり浸かっているヤツらが頑張ってカネを巡らせないのが原因なんだろう。
 
 
結局、立場はどうあれ。。僕らのような社会的弱者も、企業組織の末端も、管理職も、経営層も、みーんな、個人から変わっていかなければならないんだよ。
上流から下流に「変われよ!」って伝言ゲームを続けるんじゃなくてさ。人任せじゃなく。。

「どう変わればよいか?」ってのは、実は僭越ながらこのブログで書き続けてるんだけどね。

まずは言い訳はやめたら? と。。まずはそこから。