上の半分ほど読みましたが、相変わらず、海賊の話です。
中世の前半は、北アフリカにいるサラセン人の海賊にやりたい放題にやられる歴史ですね。
読んでいて嫌になりました。
イタリア半島を守るべき国は、ビザンチン帝国のはずですが、やってきてもサラセンの海賊たちに負けてしまいます。だからと言って、その海賊たちがイタリア半島を自分の国にするというわけではないのです。とにかく、襲って、奪えるものは全て奪って、若い労働力になるものは、拉致して、老人や子供は殺すんですから、たまったものではありません。最後は町を破壊し、火をつけて焼き払うという方法です。これは、もうやられた方は地獄ですね。
それが、イタリア半島の地中海に面した町はほとんどやられました。
特にターゲットにされたのは、修道院や教会だったそうです。人々は救いを求めて教会に集まるので、しかも武力がないので、拉致をするのに都合が良かったと言うのです。
イスラムの考えの中に、聖戦というのがあって、イスラム教以外の宗教を信仰しているものは、殺してもいいという考え方があったそうです。イスラム帝国は、北アフリカからスペインまで進出しましたから、その当時の北アフリカのイスラムは、サラセン人と言ったようです。そのサラセン人が海賊として、イタリア半島の海岸や南フランスの海岸に現れては、先に述べたような破壊をし続けていたのです。
一時的に、フランク王国のカール大帝によって、鎮圧されましたが、カールの死後はフランク王国の内紛で、それどころではなくなり、また海賊が暴れ出し、オットー朝のときには、海賊退治のお願いをしましたが、ビザンチン帝国と同じで、やはり海賊に負けてしまい、役に立ちませんでした。
この頃は、海賊という犯罪行為の歴史なんですね。私はこの辺の歴史を全く知りませんでした。この辺の歴史を書いてくれた塩野さんに感謝します。
しかし、この海賊行為に対して、それを鎮圧するような強大な国が現れるのはどこなんでしょうか?それとも、海賊たちが衰退していくのは、どんなことがきっかけなのでしょうか?
その辺を知りたくて読んでいます。
中世の前半は、北アフリカにいるサラセン人の海賊にやりたい放題にやられる歴史ですね。
読んでいて嫌になりました。
イタリア半島を守るべき国は、ビザンチン帝国のはずですが、やってきてもサラセンの海賊たちに負けてしまいます。だからと言って、その海賊たちがイタリア半島を自分の国にするというわけではないのです。とにかく、襲って、奪えるものは全て奪って、若い労働力になるものは、拉致して、老人や子供は殺すんですから、たまったものではありません。最後は町を破壊し、火をつけて焼き払うという方法です。これは、もうやられた方は地獄ですね。
それが、イタリア半島の地中海に面した町はほとんどやられました。
特にターゲットにされたのは、修道院や教会だったそうです。人々は救いを求めて教会に集まるので、しかも武力がないので、拉致をするのに都合が良かったと言うのです。
イスラムの考えの中に、聖戦というのがあって、イスラム教以外の宗教を信仰しているものは、殺してもいいという考え方があったそうです。イスラム帝国は、北アフリカからスペインまで進出しましたから、その当時の北アフリカのイスラムは、サラセン人と言ったようです。そのサラセン人が海賊として、イタリア半島の海岸や南フランスの海岸に現れては、先に述べたような破壊をし続けていたのです。
一時的に、フランク王国のカール大帝によって、鎮圧されましたが、カールの死後はフランク王国の内紛で、それどころではなくなり、また海賊が暴れ出し、オットー朝のときには、海賊退治のお願いをしましたが、ビザンチン帝国と同じで、やはり海賊に負けてしまい、役に立ちませんでした。
この頃は、海賊という犯罪行為の歴史なんですね。私はこの辺の歴史を全く知りませんでした。この辺の歴史を書いてくれた塩野さんに感謝します。
しかし、この海賊行為に対して、それを鎮圧するような強大な国が現れるのはどこなんでしょうか?それとも、海賊たちが衰退していくのは、どんなことがきっかけなのでしょうか?
その辺を知りたくて読んでいます。