先日、ある人と話をしていて、驚いたことがありました。
それは、絵のサインについてです。
その人の絵を見たら、サインがはっきり見えるのです。かなり丁寧に、デザインでもしたかのように、もしくは写真に文字を印刷したようにと言った方がいいかなと思うくらいに、はっきりと書いてありました。
私は、絵と合わないと思いました。
すると、その方は、同じ絵画グループの人から、「私はサインは大きく目立つように入れろ」と教えられたと言っていました。だから、小さめに入れた時、もっと大きく赤で入れろと言われたとか。
緑の多い夏の風景に赤やオレンジでサインを描けば、目立ちます。
私はそれを聞いて呆れました。常識外です。
ーーーーーー
知らないならともかく、こんなことを教えたり、勧めたりする人がいるということに腹が立ちました。
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サインについて、考えた時、それが絵の一部になって、カッコいいなあと思ったのは、ビュッフェです。あれは、サインと絵が同化していて、絵の一部になっています。
また、私の先生である古川先生の絵もサインが絵になっています。ぽかんと空いた空間に見事な存在感で、サインがあるために絵がしまっています。
サインが目立ってカッコいいなあと思える作品は、このお二人には感じます。
後は、サインの目立つ絵で、いいなあと思ったことはありません。
大抵は、よせよといいたくなるものばかりです。特に素人がそれをすると、馬鹿丸出しという感じがします。品がない感じがするのです。
ましてや、馬鹿でかく、派手に目立たせるなどは、愚の骨頂です。
ピカソはサインについて、ある時期自分の作品にサインを描かない時期がありました。
それは、洞窟壁画でも古代の絵でもサインなんかない。サインがなくても良いものは良いと言いました。ピカソの絵だと言えば、凄いと言われるのも心外だ、作品そのものを見てくれという意味でした。
私も、絵を売るときはサインを描きますが、それ以外はあまりサインを入れません。サインを入れるということは、完成を意味すると思っています。まだ描くのだからサインはいれられないということが多いです。人に手渡すので、もう筆が入れられないという状況のときにしかたなくサインを入れるという感じです。
また、クロッキーなどはサインを入れます。それは、10分間で終わりという自分で決めたルールがあるからです。それ以上はモデルの都合もあるから描けないということなので、それで終わりという意味でサインをいれるのです。それは、日記的な意味もあります。この日に描いたということを記しておくためです。
結論は、サインは仕方なく入れる。最低限分かればいいというくらいに控えめに入れる方がカッコいい。はっきり入れるときは、それが絵にマッチしてそれがあるために、更に作品が良く見えるという状態になるように入れる。私はそう考えています。
それは、絵のサインについてです。
その人の絵を見たら、サインがはっきり見えるのです。かなり丁寧に、デザインでもしたかのように、もしくは写真に文字を印刷したようにと言った方がいいかなと思うくらいに、はっきりと書いてありました。
私は、絵と合わないと思いました。
すると、その方は、同じ絵画グループの人から、「私はサインは大きく目立つように入れろ」と教えられたと言っていました。だから、小さめに入れた時、もっと大きく赤で入れろと言われたとか。
緑の多い夏の風景に赤やオレンジでサインを描けば、目立ちます。
私はそれを聞いて呆れました。常識外です。
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知らないならともかく、こんなことを教えたり、勧めたりする人がいるということに腹が立ちました。
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サインについて、考えた時、それが絵の一部になって、カッコいいなあと思ったのは、ビュッフェです。あれは、サインと絵が同化していて、絵の一部になっています。
また、私の先生である古川先生の絵もサインが絵になっています。ぽかんと空いた空間に見事な存在感で、サインがあるために絵がしまっています。
サインが目立ってカッコいいなあと思える作品は、このお二人には感じます。
後は、サインの目立つ絵で、いいなあと思ったことはありません。
大抵は、よせよといいたくなるものばかりです。特に素人がそれをすると、馬鹿丸出しという感じがします。品がない感じがするのです。
ましてや、馬鹿でかく、派手に目立たせるなどは、愚の骨頂です。
ピカソはサインについて、ある時期自分の作品にサインを描かない時期がありました。
それは、洞窟壁画でも古代の絵でもサインなんかない。サインがなくても良いものは良いと言いました。ピカソの絵だと言えば、凄いと言われるのも心外だ、作品そのものを見てくれという意味でした。
私も、絵を売るときはサインを描きますが、それ以外はあまりサインを入れません。サインを入れるということは、完成を意味すると思っています。まだ描くのだからサインはいれられないということが多いです。人に手渡すので、もう筆が入れられないという状況のときにしかたなくサインを入れるという感じです。
また、クロッキーなどはサインを入れます。それは、10分間で終わりという自分で決めたルールがあるからです。それ以上はモデルの都合もあるから描けないということなので、それで終わりという意味でサインをいれるのです。それは、日記的な意味もあります。この日に描いたということを記しておくためです。
結論は、サインは仕方なく入れる。最低限分かればいいというくらいに控えめに入れる方がカッコいい。はっきり入れるときは、それが絵にマッチしてそれがあるために、更に作品が良く見えるという状態になるように入れる。私はそう考えています。