伊藤博文を読みました。
初代総理大臣として知られていますが、議院内閣制になってからの初代という言い方なのでしょうか。その前から、大臣というものがあったとか言っているので、変だなと思いました。
伊藤博文も松下村塾出身ですね。長州です。
しかし、いろいろ何回も外国へ行っているので、驚きました。
アメリカからヨーロッパを通って、世界一周が最初の旅で、その後、憲法を作るためにドイツへ、また他の用事でアメリカへも。最後は、朝鮮担当になって、ハルピンでピストルで撃たれて亡くなりました。
とにかく、先進諸外国と対等に付き合えるようにするには、憲法を作らなければならないということがわかりました。確かに、生麦事件のように行列の前を横切っただけで、殺されるような国では安心して付き合えないということになりますね。
尊王攘夷、尊王開国、佐幕攘夷、佐幕開国、それと、公武合体論、いろいろあって、意見が違うだけで殺しあう時代。伊藤博文も何度も殺されそうになっています。
伊藤は、尊王開国だったようです。外国を見てきた人は、みんな攘夷なんてとんでもない、アヘン戦争の清国のようになってしまうとわかっていたのです。
しかし、攘夷論者からは、それは国を売ることだと非難され、命を狙われることになるのです。大変な時代でしたね。
どの論をとなえても、みんな若くして死んでいきましたね。
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勝った官軍の西郷でさえ、征韓論で退けられ、西南戦争で自害。大久保は殺される。
もっと、前から考えれば、土佐の武市半平太も、坂本竜馬も、吉田松陰も
新撰組の近藤も土方も、会津藩の松平容保も、井伊直助も、大村益次郎も。
いろいろ思い浮かべると、一時は破竹の勢いだった人がみんな殺されていく。
最後まで天寿を全うした人は誰だろう?この時代で私の頭に残っている人は?
15代将軍の徳川慶喜、会津の西郷頼母、木戸孝允(桂小五郎)。
しかし、あの時期外国が押し寄せてきたために、明治維新が起こったのは事実で、
外国の武器が入って来なければ、薩摩も長州も幕府には勝てなかったはず。薩長連合がならなければ、幕府は倒せなかった。そう考えると坂本竜馬の果たした役割は大きいと思います。大政奉還も竜馬が土佐藩の後藤象二郎を動かして言わせたと聞きます。
何冊か読むと、薩長連合を実現したのは、竜馬の力ではないような感じで、いかにも西郷が望んだような書き方をしているものもありますが、竜馬が行くなどでは、本当に竜馬が苦労して西郷と桂を会わせた様子が書かれています。