sugger's blog@三宅島

三宅島に移住して18年目になりました。
自然ガイドHitomiが島暮らしのことや三宅島の魅力をお届けします♡

同じ釜の飯

2006年04月01日 | 三宅島

先日、とあるコミュニティーサイトで以前三宅島で一緒に時を
過ごした子がこんなメールを投稿してくれていました。
 
この前、私が三宅島で同じ部屋だったお姉さんからメールが
届きました☆ 私が三宅島に行ったのは16歳の時で イルカが
大好きな私は、夢に向かう第一歩として三宅島に行きました。
 まだ社会に出たことのない年齢だったので 最初は、みんなと
うまく馴染めずに悩んだこともありました。 そんな時に、イルカの事を
たくさん教えてくれて一緒にダイビングの講習を受けたり、イルカと
泳いだり・・・ 私にとっての大先輩です!!
今、私がオーストラリア留学を目指している理由として 彼女が
オーストラリアでの話を聞かせてくれた事 その時にオーストラリアで
生息するイルカに興味を持ち、行こうと決断しました。
三宅島が噴火する前、みんなが離れ離れになる前に
 「Iちゃんならできるとお姉さんは信じています」 という文末の
手紙をもらいました。 私は、一人っ子で姉妹がいないので
三宅島で、本当にお姉ちゃんができたみたいで嬉しかった☆
この前のメールで留学を応援してくれていて、 今まで以上に
頑張ろうと思いました。

 三宅島噴火からあと少しで丸6年・・・。
長かったような、短かったような・・・。
結果的にはみんな散々バラバラになってしまい、全く違う人生を
歩んでいる子もいればまだ海に関わった仕事についている子もいて・・・。
噴火という出来事があった事により想像もしなかった現実が今ある事も
確かで・・・。私自身もそのうちの1人です。
しかし、『同じ釜の飯』を食べた仲間との絆は離れていてもどこにいても
固いものとなっています。

 

毎日自然に囲まれてバカなことしては大笑いし、好きなことを
仕事に出来る喜びと共に仲間と過ごす日々に最高の幸せを
感じていました。
私が最も尊敬するトップガイドTさんとYさんそしてブラジル人のk。
私が1人前になるまで育ててくれました。そして、いつまでも少年の
ような心を持ったF氏をはじめ『同じ釜の飯』を食べて過ごした
みんなとの思い出があるから「今の私」があるのです。

噴火がなければガイドを続けていて今の仕事には就く
きっかけもなかたであろう現実が、必然なのか果たして
偶然なのか・・・?それがよかったのかどうかすらも誰にも
分からないが今は感謝の気持ちでいっぱいです。
Iちゃんのメールを見てそのように感じてくれていた事が嬉しく、
今日は改めてみんなの事を想う時間が作れました。

 

いつかまたみんなと三宅島で、最高の時間を過ごせる日を夢見て・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする