運命と出会う瞬間

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「地球交響曲第七番」完成の意味

2010年05月04日 22時23分48秒 | Weblog
素晴らしい五月晴れと光の降る中、一日目が明治神宮、二日目が伊勢の皇學館大學にて「地球交響曲第七番」の完成披露上映が行われた。
「すべての生命が潔く健やかに生き続けるために」とのメッセージ性が、言葉ではなく、胸の痛くなるような美しい水の流れや氷河の動きからも発せられていたが、異質なものを受け容れる、ということ、太陽と月の結婚が皆既日食であること、と知り、あらためて深い感動を覚えた。
昨年の奄美大島での皆既日食にはそんな意味があったのだ。
まだ、そのことが浸透できていない、今はそのことに共鳴できないものも、やがて、じわじわと、地球の波動レベルで、みながそう感じ始めることができるようになるのだろうか。。

一番胸をえぐられたのは、吉野、天河の奥宮、彌山の映像だった。
たくさんの木が、枯れて倒れていて、目を疑った。
これは、ただならぬことだ、アイスランドの噴火同様、私たちは、暢気すぎる、今日と同じ物質にあふれた世界が、このままあしたもあさっても続いていくと、勝手に考え過ぎている。
もちろん、私たちに示されているのは希望だ。
私たち一人ひとりの意識で、新しい共存の、素晴らしい世界が作り出されていくのだろう、
それでも、あの、倒れた木々の姿に手を合わせ、頭をたれずにはおれなかった。

伊勢での上映会の翌日、そのつもりはなかったのに、足も無意識も、近鉄の下市口をめざし、気がつけば、懐かしい天河に向かっていた。
1号車の11番の座席から降り立った下市口からは弁財天までのバスがなく、川合村から40分の道を天川の流に沿って歩いて行った。

言葉にならない予感から訪れた弁財天で心身を清め、思いがけない宮司のお姿と、いただきなおしたありがたいおみくじとを胸に、彌山の木々の甦り、そして、地球じゅうの植物、生きとし生けるものに、自分なりの役割をきっとちゃんとさせていただきたいと願った。

抜けるような空も、飛行機雲も、風も、天河は変わらない。
彌山の様子は、弁財天からではわからなかった。
これからのことは、私たちひとりひとりの心の中の奥宮が決めていくのだろう。