運命と出会う瞬間

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アインシュタインの法則?

2011年08月02日 00時37分32秒 | Weblog
弘前の
森のイスキアの台所では
初女さんはじめ
スタッフの方々が
心を素材から離さずに
丁寧に無言で静かに、というより厳かに朝食を作られる。

台所とは聖所だったのかと認識をする。

まな板に向かう初女さんの包丁の
静かに確実にていねいな動きは
いつ見ても変わることがない

どんなに来客や、次の予定が迫っていてもだ。
予定にあわせてスピードを変えたり、バタバタすることはいっさい無い。

まな板に平行に、包丁をゆっくり動かして切る山芋
包丁ではなく人参の方をゆっくり動かしながら
どれも見事にきれいな大きさ、長さにそろうまで
じっくり、真剣にいのちの素材を扱う初女さん

そして、気がついた。
きっと、朝から、それ!と、あわただしく立ち振る舞おうとも
結果として、時間の総量は
この、ひとつひとつていねいにされた初女さんの時間と同量なのだ。

同じように、いえ、むしろ、きっと
初女さんのほうが、何もなかったようにちゃんと間に合う。
これこそが、時間の伸び縮みだ。
アインシュタインの法則がここに生きている。。。?


『予定が詰まっているとき、時間に追われているときも変わりませんが
 本当のところの心中はどんなですか?どのように気持ちを処理されますか?』

『・・いっつも、もう、しじゅうなのよ。。
 そういうとき、私は神さまの時間だと考えるようにするの。
 神さまにおあずけした時間だったら、きっと神さまはそれ以上のものにして私に返してくださるって。」
 それでうまくあわなかったことはまだひとつもないの。
 だもんで、またやってるの・・フフ』と恥ずかしそうに可愛らしく口元をほころばせる
岩木山の魔女・・・時間さえ、次元さえ、越えてしまう。
その、コツは、「心 」だ。
あの人に、あれをおいしく食べていただきたい
これを、じょうずに味付けしてあげたい
そのためにかかかる時間は神さまにあずけた時間。

そう心を込めるとき起きる時間のひずみ、ゆらぎ。。。


東京に戻って、電車のホームへのエスカレーターに乗ったら
右側を、声も発することなく強引に急ぎ上っていく男性が
次々に、左側の人たちを押したりぶつけたりしていた。
あとからふつうに車内に乗り
ちょうど、目の前にあいていた席によいしょと座ってから
何気なくみまわしたら
さっきの男性が、汗をふきながらつり革につかまっている。
。。。あらあら、あんなに急いで、ずっと先に乗ったはずなのに。
不思議、と思いながら
こういうときにも、時間の法則は働くのかもしれないって
岩木山の麓の
朝日の差し込む静謐なる台所に思いを馳せた。