運命と出会う瞬間

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ゆるすということの後日談

2011年08月05日 00時13分01秒 | Weblog
あれは三年前(笑)
私の敬愛する友人。。に、当時のパートナーが「ゆるすということ」という本の翻訳をお願いして、思ったとおり、素晴らしい一冊になった。

その同時期に知った、
ハーモニーベルという音叉のような波動調整と癒しをもたらす楽器?と
コラボレして、CDブックを出したらどうだろうと夫婦の間で盛り上がった。
すっかり乗り気だった彼は
『テーマは絶対「ゆるし」だよ。
あなたに本文を書いてほしいんだ。
あなたは「ゆるし」について書ける?どう?』と私に尋ねた。

赦し・・・ゆるすという尊大なことではなくて
こうして生きていること自体がゆるされてのことだし
おおいなるなにかにわたしたちこそがゆるされているってことなら書きたい
子供時代の体験などから
あるていどのことなら書けると思う
大学時代の先生に気づかせていただいた
「君がゆるさなければ、神さまが君をゆるさないよ」という言葉の話などもした。

・・・そのことを、今朝、夢で突然思い出さされた。

あのあと、あれあよあれよと急激に事態がわるくなり
あの本のことも企画だおれになったけれど、
あのとき、わかったようなことを書かなくてよかったと今は思う。

そうだ、、あのあとの体験。

私はあの頃、わかったつもりでいたけれど
あのときはまだ、
一番身近で一番信じている人に裏切られることが、どういう気持ちなのか
一番大切に尽くしてきたことがひっくりかえり
誓い、描いた未来がなくなってしまう絶望や
ごめんねもありがとうもない理不尽な別れというのがどんなものか
ちゃんと知ることもなく
それでも、そのことを受けいれて、それをゆるせるかどうかを
問われなければならなくなるなんて思ってもみないでいた。

だから知らされることになったのだろう

それでも、それを受け入れられるようになるまでに通る苦しみ
それでも、ただこの世は愛し続けていくための場所で
死後にもっていけるものは「いかに与えたか」だけだという法則を。

いまは、おかげさまで
我が家に飾られていたマザー・テレサの言葉の
本当の意味を、身をもって、ありがたいと思う。
すべては、内なる神とのあいだで行われたのだと実感している。

そのためにあった、この八年だったのかもしれない。
この機会のために、役を担ってくれたそれぞれ。

あんな企画の、あんな会話があったせいで
神様あるいは宇宙が聴いていて
「おやおや、それを語るにはまだ足りていないよ」と
すべてのことを仕組まれたのだろうか。

はい、ジー・オー・ディー。
私は全然わかってなんかおりませんでした。
本当に、本当にゆるせるってどういうことか
ゆるさせていただける幸せってありがたさってどういうことか
わたしたちはみんな愛によって生きて赦されているってどういうことか

参りました。
こんな想いまでさせなくったって。。と泣いたことも
人知を超えたおはからいであることを信じています。
すべてを糧とさせていただきます。
尊い体験と、常に置いて下さっていた御護りをありがとうございました。

わかったような口はきくものではありませんね。

         ー感謝を込めてー