原田が失速ジャンプを行ったのは天候が悪コンディションになったためでしたが、その後、天候はさらに悪くなり競技が中断されました。この状態が続くと1本目の結果で順位が決まることになります。この時、日本は原田の失速ジャンプのせいもあって4位でした。原田にとっては、苦しい練習に耐えようやく巡ってきた雪辱戦、それが天候のせいで消えようとしていたのです。日本は競技の続行を求めました。そこでテストジャンパーに飛ばせて、続行するかどうかを決定することになったのです。日本の選手はテストジャンパーに頼んだそうです。どうか競技を続行させて欲しい。ただのテストジャンプが4年間の苦労を実らせ、雪辱への思いを遂げさせるジャンプに変わったのです。一人でも転倒したり、空中でふらつくようなことがあってはすべてが無になってしまいます。すべてのテストジャンパーが選手の心に共鳴して、その責任の重さを感じたでしょう。その重圧のなかで、滑降ルートを固めてコンディションを整えるために飛んでいきます。そしてコンディションが整ってくると、通常のジャンプができるかどうかを飛形と飛距離で判定します。最後に選手と同等の実力を持つ西片が指名され、最終判断が下されることになりました。すべては西片の実力に匹敵するジャンプができるかどうかで判断されるわけです。このようなギリギリの状態で、思い責任を背負って西片は飛びます。大ジャンプでした。続行を決定付ける大ジャンプでした。これらのテストジャンパーの思いが集まって西片のジャンプを生み、競技が続行され、日本は逆転で金メダルを取りました。語り継ぎたいドラマです。
長野五輪のジャンプ団体で日本は金メダルを取りました。この金メダルには2つの感動のドラマがあったのです。一つはよく知られている原田の4年越しの雪辱です。リレハンメル五輪のジャンプ団体で日本はほぼ金メダルを手中にしていました。原田が失敗さえしなければ金メダルというところまで来ていました。そこで原田が結果的に最悪のジャンプをして日本は銀メダルになってしまいました。その責任を一人で背負う形になった原田の気持ちはどうだったでしょうか?その気持ちをもっとも理解していたのが原田の奥さんでした。原田の気持ちを刺激しないように気遣ってきた4年間、やっと長野で雪辱する日が来たのです。ところが、原田のジャンプの時天候の状態は最悪に、そして原田のジャンプはまたまた失速。奥さんは「あの状態が続くのか?」と思ったそうです。(僕はこの言葉を聞いてすばらしい女性だなと思いました。) ここまでなら、神様がいたならきっと意地が悪いに違いない、と思った人が多かったでしょう。しかし、この後、日本のジャンパーがすべてよいジャンプを行い、原田が一本目を挽回する大ジャンプ、日本は金メダルを取りました。原田のこの4年間の苦しい心の状態を思うと感動の金メダルでした。そして、このドラマに隠れていたのですが、もう一つ感動のドラマがあったのです。(続く)
あけましておめでとうございます。
あけて2010年、日本も私も課題山積。何をやらないといけないかはよく分かっているのですが行動できない、というか立ち上がりが遅い。なんとか・・・ 。反省はここまでにして、今年は飛躍してみましょう。仕事も遊びも積極的に取り組むことにしました。来年の年賀はことしの実績を書きますので楽しみにしてください。去年の実績は、という声が上がってきそうです。去年も実績はいろいろあるのですが書くほどのことはないのです。では、スタートです。ダッシュで臨みます。