すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

“大根の花”と市川房江さんと私の議員活動

2017年02月14日 | 日々思うこと

年暮れに大根の上の部分を小皿に水を張って窓際に置くと、新芽がドンドン出てきてその生命力を楽しんでいました。そのうち青菜として料理にと思っていたら、薄桃色の小さな可憐な花が咲き出しました。

大根の花といえば、参議院永年在職議員の故市川房江さん(1981年2月11日87歳没)を思い出します。市川房江さんは戦後の女性参政権の実現に大きな貢献をされ、著書の『大根の花 市川房枝随想集』(新宿書房)を読みふけり、私は91年4月の統一地方選に企業城下町から町議会議員選挙に挑戦する勇気をいただきました。

小正月の頃)

当時の青海町は人口1万人余りで、県議選・町長選・町議選ともトリプル無投票といわれていただけに、「女だてらに」と町中は大騒ぎでした。ある日ゲートボールから帰った父は、みんなが私のことを「共産党か社会党か」と言っていると・・・。企業城下町ゆえの厳しい締め付けで、町議会には共産党も社会党も議席がなかったので当然のことであったかもしれません。

町議会議員に当選後も『大根の花』をバイブルとして、市川房江さんの“お金のかからない理想選挙”を貫き、“寄りかからず”に孤軍奮闘の通算20年間の議員活動を続けました。そんなことで地域での風当たりが強かったことは言うまでもありませんが、当時は上越地方の各市町村に女性議員がいなかったことで少なからずとも影響を与え、その後、勇気ある女性たちが次々と立候補し、旧松之山町を含め上越地方に16人程の女性議員が誕生したことを思い出します。

また「新潟県女性議員の会」の設立に向け奮闘し、1996年には100人を超える女性議員の会となり、上越地区役員から副会長を務めてきた経緯があり、その時の出会いで今でもリベラルな人たちとの交流が続いています。

今日は上越市議会食料農業農村議員連盟の活動の一環で、三和区の元村議Oさんの雪下野菜の生産と簡易雪室貯蔵の現場視察をされた知り合い市議らのfbで、がんばっているOさんの様子を知りました。

夜になって久しぶりにOさんへ電話を入れると相変わらずの若々しい声が伝わり、生産野菜は三和区内の自校方式の学校給食へ届けているというので嬉しくなり、“大根の花”とともにチョッと昔のことを綴りました。