菖蒲の花(東京都三鷹市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「優しい人とお付き合いしたい」。
「自分をぞんざいに扱ってほしい」という人はいませんから、
これはごく自然な願望でしょう。
しかし、「この人は優しい人とどうお付き合いしたいのかな!?」という目で見ると、
人それぞれの思惑が透けて見えてくるものです。
同じように「優しい人がいい」というのでも、
「毎日嫌なことが多いし、相手の優しさに付け込んでフラストレーションをぶつけてやろう」などと、
あたかも人をマッサージチェアのように利用してやろうという、とんでもない考えをする人はかなり多いのが現実です。
だいたい損な役回りを押し付けられているのは、一体どんな人でしょうか!?
…それが答えですよね(笑)
一方で、「優しい人は素敵な心を持っているから、なんとか力になってあげたい」と、
相手の素晴らしさに感動して、こちらから差し出す態度でいる人もいるわけです。
おわかりになったでしょうか!?
表面上は同じ願望を持っているようでも、「それを叶えてどうしたいか」によって、
意味合いが全然違ってしまうのです。
誰だって欲もあれば見栄もある。
ましてや、仏教でいう「煩悩(ぼんのう、愚にもつかない思い煩いのこと)」を取り去るなんて、
できっこないのです。
私達は人間ですから、それを悪いと言っているのではない。
ただ、「我欲を捨てるのはどうせ無理だから、利己的に、あるいは強欲になってもいい」と思ったら大間違いです。
「なんでも自分だけのため」という考え方をしていると、
「誰かから与えてもらう」という発想になる。
そういうエネルギーを吸い取るようなことばっかりする人に、誰が近づきたいと思うでしょうか。
せっかく自分にいろいろとしてくれる人がいるのであれば、
せめて少しくらい、お返しやお礼の一つくらいできないかを考えたいものです。
人のためを思って気持ちを差し出すって、本当は大変なことなんです。
誰しも自分のことで精一杯なのに、そこを人のために割くのです。
そういったことに感動できる心が大切なのです。
そしてまた、自分がお返ししただけ「我欲」の割合は減っていきます。
「我欲を減らすとかなくす」というと、なんか悟りを開かなきゃできなさそうに思えるものですが、そんなことはない。
誰かの心情や気持ちに感動できれば、自然と力を差し出そうという気持ちが沸き上がってくるものです。
そういう目でお互いを見れば、力を合わせて幸せを築いていけるのです。
一方で、我欲だけでものを進めていくと、この反対のことが起こります。
そう、「共倒れ」です。
あくまで目を向けるべきは「相手の気持ち」です。
自分の気持ちは、ひとまず置いておく。
誰かの心に感動した時、きっと自分の心も人に感動を巻き起こせるような、素敵な心になっています。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「優しい人とお付き合いしたい」。
「自分をぞんざいに扱ってほしい」という人はいませんから、
これはごく自然な願望でしょう。
しかし、「この人は優しい人とどうお付き合いしたいのかな!?」という目で見ると、
人それぞれの思惑が透けて見えてくるものです。
同じように「優しい人がいい」というのでも、
「毎日嫌なことが多いし、相手の優しさに付け込んでフラストレーションをぶつけてやろう」などと、
あたかも人をマッサージチェアのように利用してやろうという、とんでもない考えをする人はかなり多いのが現実です。
だいたい損な役回りを押し付けられているのは、一体どんな人でしょうか!?
…それが答えですよね(笑)
一方で、「優しい人は素敵な心を持っているから、なんとか力になってあげたい」と、
相手の素晴らしさに感動して、こちらから差し出す態度でいる人もいるわけです。
おわかりになったでしょうか!?
表面上は同じ願望を持っているようでも、「それを叶えてどうしたいか」によって、
意味合いが全然違ってしまうのです。
誰だって欲もあれば見栄もある。
ましてや、仏教でいう「煩悩(ぼんのう、愚にもつかない思い煩いのこと)」を取り去るなんて、
できっこないのです。
私達は人間ですから、それを悪いと言っているのではない。
ただ、「我欲を捨てるのはどうせ無理だから、利己的に、あるいは強欲になってもいい」と思ったら大間違いです。
「なんでも自分だけのため」という考え方をしていると、
「誰かから与えてもらう」という発想になる。
そういうエネルギーを吸い取るようなことばっかりする人に、誰が近づきたいと思うでしょうか。
せっかく自分にいろいろとしてくれる人がいるのであれば、
せめて少しくらい、お返しやお礼の一つくらいできないかを考えたいものです。
人のためを思って気持ちを差し出すって、本当は大変なことなんです。
誰しも自分のことで精一杯なのに、そこを人のために割くのです。
そういったことに感動できる心が大切なのです。
そしてまた、自分がお返ししただけ「我欲」の割合は減っていきます。
「我欲を減らすとかなくす」というと、なんか悟りを開かなきゃできなさそうに思えるものですが、そんなことはない。
誰かの心情や気持ちに感動できれば、自然と力を差し出そうという気持ちが沸き上がってくるものです。
そういう目でお互いを見れば、力を合わせて幸せを築いていけるのです。
一方で、我欲だけでものを進めていくと、この反対のことが起こります。
そう、「共倒れ」です。
あくまで目を向けるべきは「相手の気持ち」です。
自分の気持ちは、ひとまず置いておく。
誰かの心に感動した時、きっと自分の心も人に感動を巻き起こせるような、素敵な心になっています。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
文章を書いていて一番ひるんでしまうのは、語順や言い回しなどを間違えてしまう、
いわゆる「失敗」です。
悪いものを書いてしまえば嫌にもなるでしょうし、
それがまた意欲を削いでしまったりもする。
せっかくのやる気がなくなってしまうのは、とてももったいないことですよね。
「失敗をなくせば、やる気が途絶えることはないのにねー」と思いたいところですが、
「失敗」がなくなることは、実はないんですね、残念ながら。
失敗が怖いと言ってはばからない人にちょっと質問なんですが、
「完璧な文章」ってなんでしょう!?
…おわかりでしょうか。
「完璧な文章」って、定義するのがとても難しいんです。
誤字や脱字なんかはないにこしたことはありませんが、それだけでは「完璧」のじょうけんにはなりませんよね。
そこを、「失敗が怖いよォ…)゜0゜(ヒィィ」といってしまうと、
後から振り返ってヘドが出るような思いしかできません。
実は、「文章の失敗を気にする」というのは、基本的に観察力のなせる業なのです。
どんなものでも、失敗や欠点は、その気になれば穴が空くほど探せます。
特に文章には「完璧」がない以上、反省するほど嫌な気持ちになるのはある種、当たり前すぎる話なのです。
だから、そんなことをしなければご機嫌でいられるんです(笑)
文章を書いたら、「悪い部分はないかなあ」と、いちいち振り返らない。
どうしても気になるなら、「よくできた部分」も、一緒に探しながら見てみましょう。
悪い部分を探すとか、あら捜しをするような目ではなく、
有り体に言えば、「得点主義」で気軽にやる位で十分です。
ちなみに、どうしても悪い文章を書きたくないという場合は、
ネット上でブログを開設して、落書きでもするつもりでテキトー気ままに書くことをオススメします。
そうすれば、どんなに無様な文章を書こうと、人にはさとられません。
ものを書くためには、少し「おめでたい」ほうが一歩を踏み出せたりするんですよ(笑)
過去の記事
文章力講座1・文章力がないのは恥ではない
文章力講座2・言葉と親しむ
文章力講座3・自分に素直になる
文章力講座4・簡単なのが一番!
文章力講座5・短文でOK!

今日も皆さん、ありがとうございます。
文章を書いていて一番ひるんでしまうのは、語順や言い回しなどを間違えてしまう、
いわゆる「失敗」です。
悪いものを書いてしまえば嫌にもなるでしょうし、
それがまた意欲を削いでしまったりもする。
せっかくのやる気がなくなってしまうのは、とてももったいないことですよね。
「失敗をなくせば、やる気が途絶えることはないのにねー」と思いたいところですが、
「失敗」がなくなることは、実はないんですね、残念ながら。
失敗が怖いと言ってはばからない人にちょっと質問なんですが、
「完璧な文章」ってなんでしょう!?
…おわかりでしょうか。
「完璧な文章」って、定義するのがとても難しいんです。
誤字や脱字なんかはないにこしたことはありませんが、それだけでは「完璧」のじょうけんにはなりませんよね。
そこを、「失敗が怖いよォ…)゜0゜(ヒィィ」といってしまうと、
後から振り返ってヘドが出るような思いしかできません。
実は、「文章の失敗を気にする」というのは、基本的に観察力のなせる業なのです。
どんなものでも、失敗や欠点は、その気になれば穴が空くほど探せます。
特に文章には「完璧」がない以上、反省するほど嫌な気持ちになるのはある種、当たり前すぎる話なのです。
だから、そんなことをしなければご機嫌でいられるんです(笑)
文章を書いたら、「悪い部分はないかなあ」と、いちいち振り返らない。
どうしても気になるなら、「よくできた部分」も、一緒に探しながら見てみましょう。
悪い部分を探すとか、あら捜しをするような目ではなく、
有り体に言えば、「得点主義」で気軽にやる位で十分です。
ちなみに、どうしても悪い文章を書きたくないという場合は、
ネット上でブログを開設して、落書きでもするつもりでテキトー気ままに書くことをオススメします。
そうすれば、どんなに無様な文章を書こうと、人にはさとられません。
ものを書くためには、少し「おめでたい」ほうが一歩を踏み出せたりするんですよ(笑)
過去の記事
文章力講座1・文章力がないのは恥ではない
文章力講座2・言葉と親しむ
文章力講座3・自分に素直になる
文章力講座4・簡単なのが一番!
文章力講座5・短文でOK!