青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

真心はどこに。 その2

2011年08月17日 23時06分24秒 | 青裸々日記。
ムクゲの花(東京都杉並区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人から好感を得るための「How to」は、いくらでもあります。
 「心理学的にはどうしたほうがいい」とか、
 「男性のツボはここだ」とか、
 「ビジネスではこれはかえって疎まれる」とか、
 いろいろあります。
 その気になれば、「好かれる方法」なんていくらでも真似できそうなものですが、
 自分の意思を全て人の意に沿うようにしていると、苦しくなってくるものです。
 人間には等しく個性というものがあり、それぞれのテンポやリズム、好き嫌いで生きています。
 逆に言えば、人と合わないこともあれば、摩擦や対立が起こることだってある。

 その摩擦や対立を避けるために、「人から好かれたほうがいい」という話が出てくるわけです。

 そりゃあ、会う人会う人を味方につけるか敵に回すかでは、
 どちらのほうが幸せでいられるかは、もう言うまでもありませんよね。
 しかし、自分の意思を全部かなぐり捨てて人に合わせようとすると、
 自分がおかしくなるだけでなく、人の意思をも尊重できなくなってしまうのです。



 考えてもみて下さい。
 「我慢は美徳だ」と言うのなら、自分が我慢してまで合わせている相手はどうなるのでしょうか!?
 相手は好き放題やっていて、こちらは我慢し放題。
 それで上手く行くならよいのですが、
 たいていは、「たまには自分にだって…」という気持ちが見え隠れするものです。
 いくら「自分を良く見せたい」とか「一緒にいないと不安だ」と言っても、
 それだけで全てに耐えられるわけではない。
 そうやって自分の意思を押し殺していくうちに、「我慢のできない人間に尽くすなんて…」と、相手をどんどん尊重できなくなり、
 「我慢してまで合わせるほどの人でもなかった」という気持ちに、だんだんなってきます。
 結果として残るのは、「あの我慢は、あの関係はなんだったんだ」という虚しさだけ。
 「過剰な我慢」は、最終的にはなんにも生み出さないのです。


 我慢と言っても、元は相手を大切にしたい気持ちから出たものに違いはありません。
 それでは、どこで選択を間違えたのか。
 そう、「摩擦や対立を悪いことだと思ったから」です。

 誰にだって個性があるのなら、摩擦が出来るのは当たり前の話。
 誰が悪いとか、そういう話をすること自体が筋違いなのです。


 摩擦や対立があっても、お互いに歩み寄る姿勢があれば、
 関係は良いままか、むしろより良くなることもある
のです。
 そこを、相手とすれ違うことを恐れるあまり、
 片方だけが過剰とも言える態度で、相手の機嫌を取り、都合を合わせてしまう。
 そうすれば不安や自己愛を埋まるわけですが、
 不安定さは否めません。
 それなら、別に無理などしなくても、お互いがお互いのことを思っていれば、
 摩擦や対立もやがては薄れていく、
 これでよいわけです。
 人と違うことを悪いことと思わなければ、
 別に無理に相手の気を引かなくとも、収まるところに収まるのです。


 相手を思う気持ちは大切です。
 しかし、相手を思えばこそ、相手に過剰に合わせないことも必要になってくるのです。

大きな〇時半の夕焼け

2011年08月17日 22時09分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 夏の夕焼けって、大空いっぱいに広がるダイナミックなものが多いですよね。
 私は大好きです。

 つい先日も、帰り道に夕焼けが綺麗なのを見て、
 急遽、家からカメラを持ち出しました。


 この色がいいんです、うん。


 ↓どうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

神様ではないのです。

2011年08月17日 18時58分58秒 | 青裸々日記。
日々草(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 はじめに、エッセイ風味な話ですので少し説得力が落ちるかもしれませんが、
 お付き合いいただけると嬉しいです。


 ☆ ☆ ☆

 私自身、間違えても自分を優しい人間とは思わないのですが、
 至らないなりに、人には親切にしようと心掛けているつもりです。
 できるだけ人には優しく接するように心掛けてはいるので、
 私の心掛けを汲んでくれる人が周りに多いこともあって、
 たいていは無駄に人と争うこととは無縁で、現在、円満で協力的な人間関係を営んでいます。

 しかし、話はそれで終わりはなく、
 ごく稀に困った人というか、規格外の人が出てくるのです。


 ☆ ☆

 普段は優しく接しようとしているわけですから、
 たいていのことには穏やかに答えはします。
 しかし、どんな人でも、非常識なことをしつこくぶつけられたら、頭に来るでしょう。
 自分のプライベートをしつこく聞き出す真似をされたり、
 そのプライベートなことをおおっぴらに話されたり、
 いつも愚痴の聞き役にされたり。
 気にしなければいいのでしょうが、
 自分の尊厳を傷つけるようなことをされても穏やかでいるというのは、
 いくら目標があっても、例外に入るものではないでしょうか!?
 そしてまた、人を怒らせるようなことをしておいて「冷たくされた」とか「怖い人だ」、「なにが人に優しくだ」と言われても、
 それは自業自得というか、自分のやったことがいかに悪いことかを理解できていないだけだと思いませんか。



 理想は大切です。

 しかし、
 「どんな時も優しく」
 「何があっても強く」
 「人を認める態度を」
 こんなことを言っても、人間には限界があります。
 許せないなら無理に許す必要もないし、
 守るべきものがあるなら、
 なおさらできないことはできなくてもいい。
 「金科玉条(きんかぎょくじょう)」と言って、絶対に破ってはいけないことは心理的にプレッシャーになりがちですが、
 どんな目標だって、最難関の応用問題というか、できないレベルのものもあるのです
 どんなに素晴らしい目標があっても、まずは基本だけできていれば十分。
 「人に優しくする」という話で言えば、誰にも優しくできない人より、1人でも2人でも優しくできる人のほうが素晴らしい。
 そうやって、少しずつその「素晴らしさ」を重ねればいいだけ。
 完璧にこなすだけが、全てではないのです。

 人間の仕事は「完璧にやること」ではなく、「できることを拡げていくこと」
 神様にしか出来ないようなことにチャレンジする必要もなければ、
 永遠に挑戦しなくたってよい
のです。


 向上心があればこそ、目標を超えられなかった時の悲しみもあるもの。
 しかし、どうしても乗り越えられない時は、
 「自分のやっている問題の難易度はどれくらいかな?」と、自問自答してみる価値はありそうです。
 

アイス指数

2011年08月17日 09時55分09秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。


 「不快指数」という言葉を聞いたことがあるでしょうが、
 「アイス指数」という言葉、知ってますか!?
 読んで字のごとく、アイスをおいしく感じる指数のことなんですが、
 他にもビール指数とかいろいろあるみたいです。


 ところで、今年のスポーツ飲料の売り上げって、
 昨年と比べてどれくらいなんだろう…。
 数年前、私は脱水症状を起こして点滴を打っているので、
 たくさん水分を取って、真夏の節電に備えていただきたいです。

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