
亀戸天神社から(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
生きていれば、なかなか納得のいかないこともあると思います。
特に、対人関係の場合、最初から価値観や意見が一致する人もいないでしょうから、
相手をよく知らないうちは、ぶつかるか、折れて我慢することもあると思います。
あるいは、「○○マニュアル」とか「○○の法則」といった巷で出回っているものにすがっても、
結局、人には個性がありますから、なかなか現実に適応させて、頼り切るのも難しいのではないでしょうか。
大袈裟に言えば、生きるということは、人間関係を築き上げるということ。
そこで、「相手をよく知らない場合」の対人関係の考え方がわかれば、
「そこそこ知っている相手」以上の人とも、上手くやっていかれますよね。
でも、誰を頼って、人と上手くやっていくか。
それは、最終的には自分自身しかいないんですね。
だから、「自分自身の態度や姿勢、物腰」がモノを言う場合が、
現実を見てみると、かなり多いのです。
先程、「ぶつかるか、折れて我慢するか」と言いました。
このうち、「ぶつかる」というやり方になるのは、余程気が合わないか、気が短いかのどちらかです。
あまりよく知らない相手とぶつかるというのは、つまりは最初から相手に対して壁を設けるいうことです。
でも、それって、器の小ささとイコールですし、よく知らない相手の場合、ぶつかった先に上手くいくのは、
何かのゲームではあるかもしれませんが、現実では余程のこと。
よく知らない相手とぶつかるのは、あまり得策ではないのです。
それでは、「折れたり、我慢すること」は、どうでしょう。
たしかに、ぶつかるわけではないので、壁を作ることにはならない。
でも、我慢が一時的なものならまだしも、相手をよく知らないうちに、勝手に我慢していることも少なくありません。
人間、そう簡単に本音を言えるものではないですから、先回りして色々気を利かせるのは大切かもしれませんが、
相手をよく知らない場合、望んでもいないことを我慢しているようでは、伝わるものも伝わりません。
では、どうするか。
人間に個性があるのなら、善悪の基準や優先順位、得意不得意があって当たり前です。
だから、「この人はこういう人なんだ」と、相手を丸ごと認めてあげる。
例えば最近、「大人になっても挨拶ができない人」というのが話題になりましたが、
「なんで挨拶ができないんだ!」でも、「挨拶ができないから、気分が悪いけど我慢しよう…」でもなく、
「ああ、挨拶ができないんだな」と、ただただ思っていればいいのです。
そうすると、挨拶ができないとか、ニガテなりの理由がわかるか、
挨拶なしでも上手くやっていく方法が見つかるか、
つまり、白か黒かを一々付けなくてもいいことになりますよね。
怒りや我慢から、人間関係の芽は育ちません。
個性を尊重し、それぞれの相手に応じたやり方をカスタマイズするから、
人間関係が育つのです。
そのためには、常識とか礼儀とか、最初から言わないこと。
相手には相手なりの都合があるのです。
人を分からず屋と処理するのは、簡単です。
しかし、分からず屋の数が減るほど、仲良くなれる人も増え、また仲のよさも深くなるのではないでしょうか!?