青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

遠慮は法律。

2013年01月19日 23時06分20秒 | 青裸々日記。
のぞみ号(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 基本的に、遠慮は美徳です。

 考えてもみて下さい。
 人への尊敬の念もないような図々しい人ほど、醜く見えるものはないと思いませんか。
 自分が偉くて当たり前とか、人は利用するものだとか考える、つまりは、自己中心的な人と関わっていると、
 心も荒んで(すさんで)しまいますよね。
 お互いへの思いやりをベースに繋がりを築くのが、人間にとっては自然な流れだと、私は思うのです。


 しかし。

 「それでは、思いやればなんでもいいのか」というと、それがまた、単純にはいかないのも現実だったりします。
 たとえば、「毎日挨拶したい」という人と、「挨拶がなくたって、気が通っていればいいじゃない」という人がいたとします。
 そうすると、挨拶をするような場面になるたび、この二人には壁ができてしまいます。
 挨拶をしたい側から、挨拶を重視しない側に声をかけることになりますが、
 「いやいや、挨拶なんか要りませんから」と言われると、どんなに善意があっても、挨拶を言うことそのものが「悪い」とされてしまうわけですよね。


 つまり、です。

 遠慮をするというのは、「してはいけない線を引く」ことと同じ意味になってしまうのです。
 せっかくいいことをしようとしても、「いやいや、いいですよ」と突き返すということは、
 逆に言えば、「親切ではなくて、迷惑に思う」と、
 相手の価値観をそのまま否定することになるからです。


 さて、困りましたよね(笑)

 遠慮をしないと、図々しくなる。
 さりとて、遠慮をすると、相手を萎縮させてしまったり、自分の側こそ相手に善意や好意を差し出せなくなる。
 これでは、どちらがいいのか、わからなくなってしまいます。


 では、どうするか。

 私が思うに、「遠慮」の使い方は、得てして意識が「自分の側」にしか向いていない時に間違えるのだと思うのです。


 相手の気持ちを信じられるかどうか、ここが、ポイントです。

 相手が、見返りを求めない、純粋な気持ちの人かどうか
 この一点です。
 もちろん、私達は人間ですから、下心やプライドは、完全に消し去ることはできません。
 でも、悪質商法を見るまでもなく、下心があればあるほど、
 遠慮をしたほうが正解にはなる。
 その代わり、純粋な心なり善意なり、愛情なるがあればあるほど、
 むしろ、受け取るほうが、相手の気持ちを大事にしたことになります。
 しかも、そのほうが、こちらからも気持ちを差し出しやすくなるのです。


 遠慮の多さは、壁の厚さです。
 遠慮をしなければ、こちらからの気持ちも、むしろ、受けとってもらいやすくなるのではないでしょうか。

白銀

2013年01月19日 06時44分19秒 | 雑感、雑記
 おはようございます。
 今日も皆様、よろしくお願いいたします。



 初雪シリーズ、続けます。

 なんだか粉砂糖の瓶の中にいるようで、メルヘンな感じが好きです。
 ただ、足元が良くない場所もまだまだありますので、お気をつけてお出かけくださいm(__)m


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