青裸々日記 Aorara Diary

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習い性。

2013年01月08日 22時58分05秒 | 青裸々日記。
吾妻橋から(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「人間は考える葦(あし)である」という言葉があります。
 「人間はただ生きているんじゃなくて、心が入った生き物なんだよー」という意味ですが、
 言い換えれば、「心や気持ち次第で、人間の質はどうとでも決まる」ということになりますよね。



 これを踏まえて。

 自分の心を行動として出していくには、普段からの心構えがモノを言うのではないでしょうか

 たとえば、文章を書く力。
 私は日頃からこうやって文章を書いてきているので(、質を問わなければ)、いつでも文章を書くことができます。
 でも、文字を書くことに慣れ親しんでいないと、
 即座に考えや思いを言葉として表現するのは、なかなか難しいですよね。
 だからこそ、「文字を書くようなことをしたい」というのであれば、
 まずは「形だけでも、文字を書く」というように、行動に移してしまうことが、文章をたくさん書くための王道なのです。


 ここで大事なのは、行動の出来や質は、全く問題にしなくていいということです。
 ちょっとシリアスな話になるかもしれませんが、
 「即座に文章を書く」というのは、そういう仕事でもしていない限り、なかなか機会はないものです。
 慣れていないと、時間を見つけるのも、意欲をぶつけるのも、なかなか難しいもの。
 だからこそ、「内面を行動に結び付ける習慣」を、日頃から築いていく必要があるわけです。


 さて。

 先程、「心気持ち次第で、人間の質はどうとでも決まる」と書きました。
 ということは、「人に対してどういう心構えでいたいか」という思考は、そのまま自分の行動として忠実に顕れてしまうことにはならないでしょうか。


 人に親切にしようと考えても、いきなりは、なかなかできるものではありません。
 すこしずつ少しずつ、「こうやったら親切になるんじゃないかなー?」ということを繰り返して、
 ようやく、その「親切な行動」のフットワークが軽くなるわけです。
 ところが、親切にする心のない人は、いきなり思いやりを持った行動には移せません。
 あるいは、できたとしても、下心やぎこちなさが出て、かえって嫌がられはしないでしょうか。

 逆も同じです。
 口の悪い人は信用を失いがちですが、普段から綺麗な言葉、愛のある言葉をしゃべっていると、
 その裏を汲みたくはなりませんか。



 その人の本質は、わかりやすい行動ではなく、むしろ「さりげなさ」に出ます
 もちろん、全部が全部、綺麗な思いや行動にできるわけではありません
 しかし、人に対する気持ちが汚いと、思いの外に行動に顕れ、評判が下がったり、信用がなくなったりするのです


 神様でなくても、本質は見抜けるもの。
 いつ見抜かれてもいいように心掛けておくから、無意識のレベルでも、人にあたたかく接することができるのです。

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