青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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やる気を捨てる時。

2013年01月30日 23時17分51秒 | 青裸々日記。
水仙の花(神奈川県三浦市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「やる気」が重んじられる世の中です。

 どんなことでも、意志や意欲を保つことが、成功には不可欠です。
 なぜなら、すべてがうまくいくことなんて、まずありえないからです。
 簡単なこと、単純なこと、レベルの低いことだけで済まされればよいのですが、
 現実には、成功までに難しいこと、複雑なことが待ち受けていることがほとんどです。
 あるいは、持続力が必要なこともあるでしょう。

 具体的な例を出すと、作曲をしているとします。
 曲の形にするには、メロディーとハーモニー、そしてリズムを決める必要がありますが、
 聞き応えのあるもの、より良いものを書こうと思えばこそ、
 それぞれに工夫を加えるわけですよね。
 しかし、一曲書き上げるまでには、思い付きだけではどうにもならないことがあります。
 あるいは、閃いたものを、すべて取りこぼしのないように音符として楽譜に書き続けるのは、
 並大抵の気力で出来ることではありません。
 つまり、いい曲の裏には、必ずアイデア力か持続力、集中力が働いている、
 こんなことが、言えると思うのですね。


 この話、余力や勢い、意欲が有り余っている状態で読めば、バカバカしいほど、簡単なことかもしれません。
 しかし、疲れきっていたり、意欲が調っていない時は、とてつもなくしんどい話に聞こえるはずなんです
 (だから、そういう皆様、ごめんなさいね)。


 やる気がないというのは、だいたい悪く語られがち。
 しかし、どんなエネルギーも有限な以上、意欲やモチベーションだって、どんなにたくさんあっても、尽きてしまうことはあるのです。


 さて、そんな「やる気が欲しいけど、使い果たしてしまった」という時です。
 「疲れる」というのは、突き詰めて言えば、「自分の純粋な意欲以上に求められる」ことで起こります。
 たとえば、5km走りたい人は、1kmでも楽しく頑張れますが、
 これが10kmともなると、5kmも多く走らなくちゃいけないので、そこに疲れを感じるわけです。
 「余計に頑張らなければいけない」、そう、疲れと義務感は、必ずセットになってやってくるものではないでしょうか



 ということは、疲れを癒すには、この逆を考えればいいわけです。
 「疲れ」の根源が義務感なら、その義務感をなくしていけばいい
 /U>あるいは、「義務感に追いまくられていたんだ」と気付くだけでも、癒しが得られるかもしれません。



 「疲れる時=心が理性に負けている時」です
 そもそも、純粋な意欲は、自由な発想から生まれます
 ということは、形に囚われ、窮屈な発想でいると、いつまでも義務感の奴隷になり、
 意欲が息を吹き返す機会が減ってしまいはしないでしょうか



 わかります、義務感がいかに辛いかということを。
 でも、だからこそ、ちょっとでいいですから、「やる気ない」とか「疲れた」などと、
 「本音」や「自由」を感じる時間も、「やる気」と同じく大切にしていただきたいのです。

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