青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

やる気は小さく。

2013年03月14日 21時49分13秒 | 青裸々日記。
菜の花(神奈川県松田町)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 基本的に、「やる気」というのは、あまり意識しないに越したことはないと思います。

 …こう言うと、「なんて不真面目な・・・」と思う方が大半だと思います。
 それはそうですよね。
 本腰を入れてやらなければ、やれることもやれなくなってしまいますから、
 「やる気がないなんてもってのほかじゃないか」と考えるのは、ごく自然な話です。


 それでは、なんて「やる気」を意識しないほうがいいのか。
 これには理由があるのです。

 ところで、こうして「やる気」という言葉を見て、ストレスを感じはしませんでしたか!?
 あるいは、「やる気」というものが欲しい時って、決まって罪悪感や無力感を抱き、焦るような気持ちにはなりませんか!?


 そうなんです。

 「やる気」という考え方は、一見、とても前向きなようでいて、
 実は非常にストレスフルな発想以外の何者でもない
のです。
 それに、意欲に溢れた人は、いちいち「やる気」について考えたりはしません。
 だから、やる気というものを考えること自体、どこか生産的ではないと、どこかで気がつく必要があるのではないかと思うのです。


 それでは、どうすれば無理なくやる気を引き出すことができるのでしょうか!?


 簡単です。
 力まなければよいのです。

 やる気のなさに悩む前に、やる気がなくてもやれること、緩くやれる範囲のことだけやってみましょう。
 いちいち自分の姿勢にケチをつけていると、自分の頭と心が不協和音を奏でてしまいますら、
 動作として、表に出すことが、なかなか難しくなってしまいます
 だからこそ、適当にやれるものは、いちいちあれこれと考えず、できる範囲で、適当にやっていればよいのです。
 むしろ、「やる気がないくらい」のほうが、望ましいかもしれません。



 せっかくの気持ちが行動や動作に結び付かないと、もどかしさとなり、しんどくもなっもしまいます
 「やる気」にこだわって無に帰すなら、「やること」にこだわりましょう
 むしろ、「やる気がない」ぐらいのほうが、後々続きやすく、ちょうどいいぐらいの努力に結び付いていったりもするのです


 「やる気」などというのは、優等生にやらせておけばいい。
 それよりも、緩くとも気持ち良く努力するやり方を、考えるようにしたいですね。

春の息吹

2013年03月14日 05時41分35秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 桜が好きなので、今日も、松田町の写真です。

 これだけの桜と菜の花に囲まれていると、なかなか気持ち良くないですか?
 桜祭りは24日まで延長になったようなので、
 ぜひ、都合のつく方は行ってみてくださいね。


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沈丁花

2013年03月13日 05時40分44秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 最近、街を歩いていて、ほのかに甘酸っぱい香りがしませんでしたか!?

 …だとしたら、この沈丁花が発生源だと思います。


 私は花の香りの中で、この沈丁花が一番大好きです。
 いつも手元に置いておきたいぐらいです。

 ぜひ、香りに注意して、歩いてみてくださいね。


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黄色い世界

2013年03月12日 05時41分33秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 早咲きの桜に合わせるかのように、菜の花も見頃を迎えてきています。


 一面の菜の花を見ると、なんだか明るく元気な気持ちになります(^^)/
 これも黄色の雰囲気のせいでしょうか。


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怖れとの付き合い方。

2013年03月11日 23時19分54秒 | 青裸々日記。
河津桜の花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 平均台をやっていて、向こうまで渡り切るコツは「前だけを向くこと」に尽きます。

 一般に、すぐに足が着く高さで平均台をやると、それなりに歩けたりもするものです。
 しかし、高さが上がれば上がるほど、向こうまでたどり着くのが難しくもなるもの。
 なぜなら、怖い気持ちに意識を支配されてしまうと、その分だけ、反比例するように「前へ進む気持ち」が削がれてしまうからです。


 これ、平均台に限ったことではなく、むしろ、全てについて言えることではないかと、私は思うのですね。
 怖がることは、大切なこと。
 当たり前ですが、危険を予知して安全に過ごせるのは、怖がる気持ちがあるからです。
 それに、何の危険がない場合でも、怖がる感情が出てくるから、「心に何か引っ掛かりがありますよ」とか「癒したり、解決すべき問題はありませんか?」というサインにもなるからです。
 そしてまた、怖がる気持ちを持てないようなら、失敗することも増えるでしょうし、
 もっと上手くいく機会や方法を発見するのに、時間がかかってしまうかもしれないわけです。
 だから、怖がることは、人間としてむしろ真っ当である証拠なのです。



 しかし、先程お話ししたように、怖れは人間の足を引っ張るものでもあります。
 怖がる気持ちが萎縮や憂鬱さを呼び、それがまた、成功を遅らせてしまう。
 だとすれば、「怖れ」は、付き合い方次第で敵にも味方にもなるわけです。


 ということは、「怖れとの付き合い方」がわかれば、上手く事を運んでいくことができる、
 こういう筋になりますよね。
 それでは、どうしたら怖れと上手く付き合うことが出来るか、一緒に考えてみましょう。


 「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という言葉があります。
 「「幽霊じゃないか、怖いよう」と思ってよく見たら、ただの枯れたすすき(=枯れ尾花)だった」ということで、
 転じて、「恐怖には実態のないものもありますよ」という例えとして、よく言われているんですよね。
 そしてまた、「最初はただの枯れたすすきだった→しまいには幽霊じゃないかと怖れおののいてしまった」ということは、
 恐怖というのは、勝手にわいて出て、しかも膨らんでくるものでもあるわけです。
 一方で、恐怖心には、危険を免れたり、道を誤らない抑止力になるという、ありがたい側面もある。


 ということは、恐怖が出てきたら、一体何に対してそんなに怖がっているのかを、
 一度でも再確認してみると、恐怖を上手く利用し、付き合っていけるのです。
 「何が」怖いのかがわかれば、恐怖の8割は解消されます
 たしかに、怖いものの蓋を開けるのは怖いものですが、
 蓋を開けないことも、恐怖を増やす要因になったりするのです



 怖れは、その対象を確かめることさえすれば、味方にもなる感情なのです。
 妙な話ですが、怖れることを怖がらないようにしましょう。

桜がいっぱい

2013年03月11日 11時43分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日も松田町からの写真。

 河津桜といえど、こうやって撮ると、もう春爛漫な気分しかしませんよね。
 暖かい風に、心も軽くなってきます。

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桜並木

2013年03月10日 12時49分48秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 松田町では、河津桜が見頃を迎えようとしています。

 こういう桜並木を見ると、いよいよ春なんだなぁという気持ちになりますね。
 桜は美しくて好きですね(*^_^*)

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認めなければ怖くない。

2013年03月09日 23時50分26秒 | 青裸々日記。
梅の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 心ない言葉に、傷つく人は多いと思います。
 それはそうです。
 まさか、嫌なことを言われてもへっちゃらだという人がいたら、
 そちらのほうが問題です。
 だいたい、傷つかないなら傷つかないで、
 今度は人に対して平気で嫌なことをやってしまうことだってないとは言い切れませんよね。
 だから、嫌なことを言われて傷つくのは当たり前だし、そんな自分を情けなく思う必要もないわけです。



 ただし、です。

 やっぱり、傷つくようなことはないに越したことはないし、
 嫌なことがあったにしろ、その傷自体は浅く済んで欲しいのもまた、誰もが望むことでしょう。
 そうだとしたら、やっぱり、ダメージを減らす方法を考えてみる価値はあるのではないかと思うのですね。


 さて、皆さんが、ある難しいテストで100点満点を取ったとしましょう。
 そこへ、意地の悪い人が来て、「やーい、バカヤロー」と言われたら、どういう気持ちになりますか。
 …きっと、「ああ、この人はかわいそうな人なんだなぁ」としか思えないはずです。
 なぜなら、自分に対して、どこも「バカヤロー」とは思ういわれがないからです。
 ところが、同じテストで、平均点を下回ってしまった場合、
 同じように「バカヤロー」と言われたら、嫌な気持ちにもなるでしょう。
 自分の至らないと思っていると、悪く言われる根拠を探してしまうようになるのです
 そして、「悪い」とされる根拠があればそれがコンプレックスになり、
 根拠がなかったらなかったで、自分に対して悪い方向から見る癖がどんどん付いてしまいますから、
 別な言葉で悪く言われた時、耐えられなくなってしまうのです。
 難しく言えば、自分を悪く思っただけ、嫌な言葉を受け入れる土壌が、心にできてしまうのです。



 とは言っても、完璧な人間なんていません。
 でも、大切なのは、完璧になることではなく、人と上手くやって、幸せになっていくことではないでしょうか

 だから、完璧でない自分を責める必要なんて本当はどこにもないし、
 むしろ、そんな労力があるなら、どうしたらダメージを減らせるか、自分を認める意義や大切さを考えるほうが、
 どれだけ良いかと思うのです。


 もし、自分を責めたくなったら、そのダメージについても考えること。
 そういう小休止が、自分を守るのです。

あぐりパーク嵯峨山苑から

2013年03月09日 05時38分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、神奈川県・松田町の、「あぐりパーク嵯峨山苑」に行ってきました。


 一面の菜の花に、咲き出した河津桜。
 眼下に広がる松田町の風景もあいまって、見ていて飽きませんでした。

 いつまでも写真を撮っていたかったです(*^_^*)

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杓子定規。

2013年03月08日 23時03分01秒 | 青裸々日記。
山茶花の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「人間は自分に甘いものだ」との前提に立った戒めは、数多くあるものです。
 もちろん、自分に甘くしてばかりでは、人様に迷惑をかけてしまうことも多くなりますから、
 自分を律して、気持ち良くスッキリ生きていた方がいい、
 だからこそ、格言なり規律なりが必要なんだという話になるわけです。



 しかし。

 この「格言」などというもの、実はなかなかのくせ者だったりするのです。

 「自分を甘やかさない」という意味での格言は、たしかに正論を端的に言うようなもので、説得力もあります。
 しかし、どんな規則や法則にも、例外はあるのも事実だったりするものです。


 たとえば、「してあげたことは忘れて、自分がしてもらったことはきちんと感謝し、記憶にとどめましょう」という話があります。
 たしかに、「してあげたこと」というのは、手間や労力も掛かるし、プライドや自分の思い入れも重ねて考えてしまうぶん、
 どうしても、頭に残りやすいのは事実でしょう。
 そしてまた、「してもらったこと」に関しては、自分の時のように心情や背景を汲むのが難しいわけですから、
 どうしたって、悪気がなくたって、相対的に、頭に残りにくくもなるのです。
 だから、「してあげたことだけは忘れましょうね」と、言われている…という理屈になるのですね。

 しかしこれ、私に言わせれば、忘れないほうがいいことも、ある気がするのです。

 たとえば、心を込めて、何かを手助けしたとします。
 そして、「忘れたほうがいいから」と、手助けしてあげたことは忘れたとします。
 さて、そこで、その相手から「あの時のお礼をさせて下さい」と言われたら…、
 「あれ、そんなことしたっけ?」と返すのが正解とは限らないのです。
 これは極端かもしれませんが、「やったことを忘れた→それほどの思いもこもってない」という解釈をする人もいるわけです。
 だとしたら、せっかくの感謝も無駄になり、相手だって傷つくことにもなりかねません。



 そうなんです。

 いくら好ましいことをやっていても、受け取り方によっては、幸せになれない場合があります。
 反対に、ちょっとマズいことが、正解になる場合だって、この世の中にはたくさんあるのです。
 なぜなら、ものの見方は人それぞれで、角度や価値観で如何様にも変わるからです。



 どんなことでも、あまり決め付けないことです
 どんなに好ましいからといって、一つの物差しだけで考えると、
 柔軟性がなくなり、気持ちが脆くなりかねません。
 だから、正解も何も、ある意味では適当に考えているほうがよいのです。


 正解は、自分で作りましょう。
 たまにそれぐらいの気概を持ったって、罰は当たりませんよ。

河津桜

2013年03月07日 05時47分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 河津桜も、すっかり見頃となりました。

 早咲きで有名な河津桜ですが、なんと、スカイツリーの近くでも咲いているんです!
 これは絡めないテはありませんね(*^_^*)


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問題意識。

2013年03月06日 23時16分52秒 | 青裸々日記。
亀戸天満宮の梅の花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「問題意識を持ちなさい」と、様々なところで言われます。
 では、「問題意識」とは、一体なんなのでしょうか?


 「問題意識」とは、簡単に言うと「問題点」を見出だすベクトルで、物事を色々考える意識のことです。
 たとえば、文章力を付けたい!という場合。
 なんにも考えず、漫然と文章を打ってるだけでは、
 どこをどう変えればいいか、どう伸ばせばいいかがわからないままです。
 あるいは漫然と書くやり方でたとえ文章力が伸びたとしても、
 成長は遅く、また、膨大な時間や労力が無駄になってしまうことにもなりますよね。


 そこで、問題点を明らかにすることが、改善や成長のために、大切になってくるのです。
 具体的には、自分を顧みること、客観的に考えること、場合によっては批判的に見ていくことが、
 問題点を洗い出すことに繋がっていくのです。


 人間にとって、成長することは、人生の楽しみや醍醐味の一つになってくるものです。
 ということは、「問題意識は成長に繋がるのだから、あったほうがいい」という話になってきます。

 しかし、です。


 先程、問題点を見つける方法として、「客観的に考える、場合によっては批判的に見ていく」とお話ししました。
 しかし、客観的に考えるのは労力が要りますし、自分を批判的に見るのは、なかなかつらい作業です。
 つまり、「成長することは楽しいはずなのに、成長する=問題点を見つけることは辛い」ということで、
 「問題意識を持つ」というのは、ある種のジレンマを抱える危うさと隣り合わせだったりもするのです。


 これ、自分の場合に限りません。
 人を批判して、相手がそれで素直に受け入れてくれるかといえば、
 だいたい苦虫を噛み潰したような顔をされて、しかも実際にやってくれるかもあやしい…というのが、現実ですよね。
 じゃあ、どうしたら聞き従ってくれるかといえば、
 それは、相手への尊敬や肯定がベースにあることが不可欠になってきます。
 たとえば、「器の大きいあなただから言うんだけど…」などと、あくまで得点方式で肯定的に言うから、
 「否定されたわけじゃない」と、話を聞き入れてくれるようになるのです。


 お分かりになったでしょうか。

 どんなに問題点があるにせよ、スタート地点は「肯定」です
 「ダメだから改善する」は、理屈では通っても、現実には気分が悪くなるばかりというのが、大方の感じ方でしょう
 同じ「改善」なら、「より良くするため」などと、否定のニュアンスが入らず、むしろ未来への希望が込められたもののほうが、
 やりやすく、成果も出るのではないでしょうか
!?



 問題意識を持つことは、素晴らしい。
 でも、問題意識を滑らかに使っていけると、もっと素晴らしいのですよね。

ペンギン

2013年03月06日 05時39分27秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 Suicaで有名な、ペンギンの写真です(笑)


 南極のイメージがあるのですが、この日は全く池で泳いでませんでした。
 人間と一緒なんですかね(*^.^*)

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