我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

ファザコン

2006-01-10 | 日常思う事 (我的看法)
*写真は父が北京出張で必ず行く『藩家園』 注:父ではありません。

はい、決心しました。決心したせいか、風邪も完治!心も非常に前向きです!「病は気から」とは良くいったものです。


2月中に帰国し、父の下ゼロから出直す事になります。様々な思いがありますが、肝心なことは「自分のために働く」。 このアドバイスを忘れずに今気持ちをもっと高めていきたいです。「招かれた」と勘違いしていたら、苦しい時言い訳する自分がいるに違いありませんもの。

幸いにも職場では、父は台湾姓・僕はハタケヤマと名乗るため、変な気遣いは少ないでしょう。そして、何度か手伝っているため面識がある方がほとんどです。問題は自分の「親への甘え」でしょうか。


でも、激甘な自分は父への私情も今は一杯膨らます時期かなと思っています。




家はずっ~と母・僕・弟の母子家庭でした。父は週末たまに来ては、近況を尋ねたり、説教したり、外食するのが常でした。子供時代、父が来ると言うだけでピリピリした緊張感になり嫌で溜まりませんでした。予想外に平日いたりすると、結構辛かったなぁ。悪い事をするとピンタされたのも良く覚えています。

クリスマスの時は「日本人はキリスト教じゃないのにクリスマスを祝う」と文句言っていました。子供時分、「クリスマスに政治を持ち込まなよ!」とか思っていましたっけ。夜遅くサンタを見たくて気付かれないように目を凝らすと、父の残像が見えた時ショックよりも逆に微笑ましかった記憶があります。う~ん、「政治」という言葉を使っていたということは、既にサンタの存在を疑っていたのか…おませなガキだ。

以前投稿した内容(下記リンク有り)にあったように、一度親父と格闘をしたこともありました。棒術もしていた父は当時は身体も逞しかった。未だに力強い父は健在ですが、丸くなったというか質が変わった気がします。話を戻します。中学生時代に父に惨敗してから、父に穏やかならぬ感情を持ちながらも巧く当り障り無いようにしていました。それでも、父は高校受験・大学受験・就職・退職と節目節目に愛情ある言葉をくれました。それが、少しづつ自分の父への見方を変えたのでした。

・高校受験 

私立3校落ちて第4希望(滑り止め)の都立高へ 「着いて行くのがやっとの学校に入るより、トップになれる学校に行った方が先生とも仲良くなるし色々な情報が入るしプラスになる」 
⇒ 5段階中平均評定4、7の成績で高校卒業。後にも先にも自慢できる成績はこれのみ。大学指定校推薦を取る(遅刻・早退30個ばかしを学校に揉み消してもらう)

・退職

退職のきっかけになった全体会議での発言について 「話を聞き・その社歴から判断すると、発言した事自体が問題なんだよ(笑)」 ⇒笑い飛ばされ、シンプルに納得した。
また、商品部に異動(左遷) 「あなたが動揺したり思いつめたりしているということを相手に見られている(感づかれる)ことに注意しなさい」 ⇒「敵に弱音を見せるな」とどれだけ不利になるか分った。そして、「強い心を持たないと」と思えた。


退職して、2004年9月訪中団の仕事では初めて父と仕事をした。父の大きさに強い尊敬の念を抱いた。

父の全てを尊敬しているかと言うと、もちろん人間だから気に入らない所もある。言い方がきつかったり、嫌味が入る場合もあるし…。でも、ファザコンである。


一年間の「留学」という充電期間を過ごし父の下へ。今までと違うのは、これからはほぼ毎日顔合わせ同じ職場でぶつかりながらも、「会社の利益」という唯一つの目標に向かい『仕事』をすることである。本当の『仕事』をこなせるよう早くなりたい。


残された留学生活は、中国語の勉強・御世話になった方への挨拶など色々ある。この機会に『テニス』についても良く考えるべきだな!!!

→以前投稿した「親父ぃ!」  注)文章、非常に寒いです。。。御詫び致します。