発信箱:うつむくデジタル=滝野隆浩(社会部)
「iPodやiPadをはじめとするデジタル機器のせいで、情報は人々に力を与えたり、人々を(抑圧から)解放する道具ではなく、気分転換や気晴らし、娯楽の道具になった」。オバマ米大統領が5月、ハンプトン大の卒業式でそう述べたと、「ニューズウィーク」(日本版)で読んだ。教育の大切さを訴える中で唐突に出てきた話だが、同感だ。テレビCMでみる端末機、確かに楽しそうだ。もし万が一手に入れたら、私もハマりそうで怖い。
政府は小中学校の子供全員に端末機を配布して、デジタル教科書にする計画だという。文部科学省の「教育の情報化ビジョン」の資料には、<子どもたち一人一人の能力や特性に応じた学びを構築>とか、<教員が学習履歴を把握したり、教員と子どもたち、子どもたち同士の双方向性のある授業等を行う場合にも有効>などとある。計画は知らぬ間に進んでいる。
優秀な子は自分でどんどん学んでいくのだろう。ネット世界には無限に近い知の集積がある。たまには義理で先生にメールで質問したりして。でも、先生は遅れている子を指導していて忙しくなかなか返事が書けない。イライラしていたら、電子知能の「ロボット先生」から優しい返信が届く……おお、星新一の世界ではないか。
近未来の教室を想像しながら、はっとした。みんな端末を見て、うつむいている。手を挙げて質問したり、仲間の珍妙な答えに笑い合ったり、あるいはどきどきしながら職員室に相談にいく、そんな光景がない。オバマさんがいうように娯楽の道具だもの。子供たちは画面の中の世界に夢中になって、生身の関係から遠ざかる。小中学生全員に「デジタル教科書」端末機を持たせていいのか。私は反対。子供は顔を上げ、天を仰いでほしい。
毎日新聞 2010年8月11日 0時09分
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紙の教科書であろうと、紙の新聞であろうと、
読むときに「うつむく」のは同じでしょう。
辞書が紙の辞書から電子辞書に変わったように、
教科書が紙からデジタル化されるのは必然でしょう。
記者は何を言いたいのでしょうね?
デジタルの問題じゃなくて、
<子どもたち一人一人の能力や特性に応じた学びを構築>に反対で、
クラス全員同一の一斉授業に哀愁を感じてるのでしょうか?
学校教育に何を求めるのか?
知識を得る「知育教育」なのか、社会の中の一員として、
集団生活の基本的なルールなどの「徳育教育」なのか、
もちろん、その一方だけでなく、両者のバランスであるのは
言うまでもない。
40年ほど前の電卓の開発競争による小型化、廉価化により、
普通の四則計算だけの電卓だったら100円ショップで手に入るようになった。
四則計算だけだなく平方根も計算できる。
この電卓の普及の伴い、学校教育から平方根の解法の単元は消え去り、
若い連中に手計算で平方根を計算してみせると「筆算で求められるの?」
とびっくりされる。
実は同じようなことが、その前に(少なくとも)一度あった。
立方根(三乗根)の解法である。我々の前の世代は三乗根まで
筆算で計算していた。
このように、その時代の技術に伴い、知育教育の内容は変わってくる。
日本語にしても、日本語FEPを使ったキー入力全盛の現代、漢字は書けることより、
読めること、FEPの示す候補漢字から正しい漢字を選択できる能力が求められている。
英語のスペルミスもスペルチェッカーが教えてくれる、修正してくれる。
そんな細かいことは気にせずに、楽しい、意味ある文章を書くことに専念したいものだ。
30年ほど前、インベーダーゲームに代表されるテーブルゲームがはやった時、
TVのように垂直な画面を見るのでなく、いずれ画面は机と水平な、いや、
テーブル自体がモニター画面になる時代が来ると予想していたが、
iPad や kindle などの電子ブックビュアの普及に依って(少し形は違うが)
予想していた時代が始まろうとしている。
書く方、キー入力に関してはあまり変わっていない。
手書き入力もあるが、漢字を忘れた、スペルを忘れた者に手書きは難しい。
とすれば、30年後には頭で考えれば、それがテキストとして出てくる
脳波を検出した入力装置が普及していることを期待しておこう。