テレビが我が家にやってきたのが小6のころ?。
それまではメディアと言えば、ラジオだけ。
さすがに「君の名は」は聞いていなかったが、
笛吹童子~ひゃらあり、ひゃらりこ、ひゃりーこ、ひゃられーろ・・・(放送期間1953年1月5日~12月31日?)
赤胴鈴の介
一丁目一番地
あたりから
ラドン(なかなか情報が見つからない!)
白黒テレビ時代の番組で記憶しているものはあまりない。
高校2年のときに東京オリンピック程度であろうか?
どちらかというとスポーツ嫌いの傾向もあり、東京オリンピックもあまり熱心には見ていなかった。
カラーテレビは結構早く我が家にやってきた。
浪人するか、金のかかる私学に進学するかと思っていた次男坊(わたしのこと)が現役で地元の国立大学に入学が決まり、私学の入学金・授業料として準備していた学資が不要となり、喜んだ父親が誰にも相談せずに注文したカラーテレビが突然やってきた。
大学1年が終わった時、父の転勤とともにカラーテレビは親と一緒に行ってしまい、小6の時の白黒テレビが私の4畳半の下宿に残されていった。
当時は学生の下宿にテレビを持っている者は皆無に近かった時代である。
それまではメディアと言えば、ラジオだけ。
さすがに「君の名は」は聞いていなかったが、
笛吹童子~ひゃらあり、ひゃらりこ、ひゃりーこ、ひゃられーろ・・・(放送期間1953年1月5日~12月31日?)
赤胴鈴の介
一丁目一番地
あたりから
ラドン(なかなか情報が見つからない!)
白黒テレビ時代の番組で記憶しているものはあまりない。
高校2年のときに東京オリンピック程度であろうか?
どちらかというとスポーツ嫌いの傾向もあり、東京オリンピックもあまり熱心には見ていなかった。
カラーテレビは結構早く我が家にやってきた。
浪人するか、金のかかる私学に進学するかと思っていた次男坊(わたしのこと)が現役で地元の国立大学に入学が決まり、私学の入学金・授業料として準備していた学資が不要となり、喜んだ父親が誰にも相談せずに注文したカラーテレビが突然やってきた。
大学1年が終わった時、父の転勤とともにカラーテレビは親と一緒に行ってしまい、小6の時の白黒テレビが私の4畳半の下宿に残されていった。
当時は学生の下宿にテレビを持っている者は皆無に近かった時代である。
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