若いころには福岡に住んでいたので、新幹線が東京・新大阪間で走り出すまでは、東京へ行こうとすれば寝台列車が当然。それもいわゆるブルトレ(特急)ではなく急行列車の寝台利用。その寝台も取れずに、座席で我慢することも普通だった。
ブルトレ、2段式の電車寝台、急行の寝台列車についてはすでに記事も集まっているようなので、省略し、ここでは普通列車の寝台の経験をお披露目しよう。
九州管内で門司港から日豊線経由で西鹿児島(多分、終着駅は正確には覚えていない)行の夜行鈍行に寝台車が1両だけ連結されていた。
夜の10時頃に出発し、宮崎に朝の6時頃に到着。
鈍行とはいっても夜行列車では止まらない駅もありましたね。
寝台車は当然、2等の3段式。
(A寝台、B寝台っていつからですかね、その前は1等、2等でしたよね)
2等の3段式は急行列車の寝台車両でも普通に使われていたので、内部は急行と変わらない。ただ、普通列車に接続されているのは急行列車で使い古した車両のような感じだった。
若かったので、3段式では上段が好きだった。
上段は窮屈に感じるかもしれないが、荷物置き場と境がなく、寝た時の頭の上(水平方向の意味)にゆとりがあった。その意味では中段がいいとこ無しで嫌いだった。
寝台料金って幾らだったんでしょう?
記録はありませんが、同じ時期に大阪・富山間の急行寝台(急行料金+寝台料金)が1500円という記録が残っています。普通寝台だったら?
最期に寝台車に乗ったのは何時でしょう?
忘却の彼方ですね。
といいつつ、東京と特急寝台が繋がっている処に現在住んでいるので、
近いうちに数十年ぶりの寝台列車を体験しそうです。
ブルトレ、2段式の電車寝台、急行の寝台列車についてはすでに記事も集まっているようなので、省略し、ここでは普通列車の寝台の経験をお披露目しよう。
九州管内で門司港から日豊線経由で西鹿児島(多分、終着駅は正確には覚えていない)行の夜行鈍行に寝台車が1両だけ連結されていた。
夜の10時頃に出発し、宮崎に朝の6時頃に到着。
鈍行とはいっても夜行列車では止まらない駅もありましたね。
寝台車は当然、2等の3段式。
(A寝台、B寝台っていつからですかね、その前は1等、2等でしたよね)
2等の3段式は急行列車の寝台車両でも普通に使われていたので、内部は急行と変わらない。ただ、普通列車に接続されているのは急行列車で使い古した車両のような感じだった。
若かったので、3段式では上段が好きだった。
上段は窮屈に感じるかもしれないが、荷物置き場と境がなく、寝た時の頭の上(水平方向の意味)にゆとりがあった。その意味では中段がいいとこ無しで嫌いだった。
寝台料金って幾らだったんでしょう?
記録はありませんが、同じ時期に大阪・富山間の急行寝台(急行料金+寝台料金)が1500円という記録が残っています。普通寝台だったら?
最期に寝台車に乗ったのは何時でしょう?
忘却の彼方ですね。
といいつつ、東京と特急寝台が繋がっている処に現在住んでいるので、
近いうちに数十年ぶりの寝台列車を体験しそうです。
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