・・・四年生だけがこの旧制中学校の校舎で授業を受けた。それも早番(はやばん)、遅番(おそばん)の二組に分かれた二部授業である。
二部授業という言葉を知っている人も今日では少ないであろう。戦後の、それも都会で生じた現象 だった。遅番組は早番組が給食を食べている頃に登校して、よだれを垂らして廊下で待つのである。
脱脂粉乳のミルクとコッペパンとマーガリンの三点セット に、おかずは一品ほどの給食だった。それでもまだ当時は食糧事情が良くなかったので、窓越しに早番組が給食を食べているのを待ち遠しそうに眺めていた。
(瀬戸 武彦 (ドイツ文学) のエッセイより)
3年生まで1学期は2部授業だった。
早番は1時限目~3時限目+給食で帰宅
遅番は給食+4時限目~6時限目
これが隔週で入れ替わったのかな?そこはよく覚えていない。
夏休みの間に突貫工事で木造2階建ての校舎増設が終わり、2学期3学期はは解消されていた。
4年生では別の記事に書いたように、学区再編成、新しい小学校の設置があり、2部授業は解消された。
それでもクラスメートは57人、何クラスあったんだろう?
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