メモ帳

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9月18日 岡山への復路

2005-09-18 23:30:00 | Weblog
9月18日(日)
黒猫の小さな引越し便を頼んでいたが、来たのが11時頃。
手際よく積み込んでくれて、昼を少し回ったところで終わる。

掃除をして最後の戸締り、写真も撮って大野城を後にする。
5号線で福岡へ出て、とりあえず百道のシーサイドももちで昼食でもと思ったが、駐車場が満車で、並んだものの、うんともすとも動かない。トイレに行ってきた家内が、まったく動いていないのを見て、ももちを断念。
大濠公園へ。駐車場の入口を間違えて少しんもたもたしたが、無事駐車でき、レストハウスで遅めの昼食にありついた。
子供づれのファミリーがボート救命胴衣をつけた子供を乗せている。見ていると救命胴衣をつけているのと着けていないのとがいる。必須ではないようだ。

大濠からは那の津通りを東に進み、天神ICから都市高速へ。福岡ICで九州道に乗る。
九州道に乗ってすぐ、追い越し車線で前の2台の車が変な動きをした。と、道路にヘルメットが落ちているのが見えた。ブレーキも踏んだが、とまってしまうと後ろに追突されそうだし、左の走行車線には入りにくい。右によけて車輪をヘルメットに載せてしまうと横転の可能性も?と、そこまで考えたわけではないが、よけるのは難しい。となれば車輪が乗り上げないように真ん中に位置取った。真ん中を抜けてくれればと期待したが甘かった。パンパーから車体の下に巻き込み、路面とこすれるすごい音がしばらくした後、バンという音でヘルメットが壊れた、やっと車体の下から抜け出てくれた。サイドミラーで見てると、自分の車体から抜け出たヘルメットが飛ぶようにして後ろの車の左前に当り、路側帯へ飛んで行くのが見えた。

車体の下が心配で、次のPAである古賀SAにはいる。車を止めて車体の下を覗くと水がポトポト垂れている。クーラーの水であれば心配ないが、クーラーを止めても水は止まらない。SAのガソリンスタンドに行き、見てもらうと、これはクーラーの水だから心配ないと言われホッとする。
関門海峡の手前、門司側の布刈SAで休んで、家内と運転を交代する。
家内の運転に変わって、ぐっすり寝てしまい、起こされたのが山口JCTの手前。
そろそろ山口JCTで、中国道を行くか、山陽道を行くか?
往路は中国道を通ったので、復路は山陽道を選ぶことにした。

山陽道に入って最初の佐波川SAで運転を代わる。
そろそろスモールランプをつける車も増え始めた。一路山陽道を東へ。
玖珂ICでは全部の車を下ろすために車線上に柵をしていた。
全部おろすのだからICの料金所も増やしているかと思ったが、普通に2つの料金所しかない。次の岩国ICにはここを右折するようにナビは示しているが、看板に町内渋滞のため左折するように指示が出ていた。それでも右折する車もいる。
看板にしたがって左折したが、これが大失敗!!!
左折して2号線へと案内はあったが、左折した後の2号線への行き方は途中どこにも案内がなかった!!! ナビはUターンして右折した道に戻そうと指示が出る。

途中で、道路標識に岩国は左折するように出ていたが、ナビは直進をいう。
ここまではナビを信用して左折せずに直進する。
と、つぎの交差点ではぐるっとUターンする道を指示する。
このあたりでナビを信用しなくなる。最後はナビの電源を切ってしまった。

私はどこに行ってるのでしょう?ここはどこ?状態で柳井に着く。柳井から瀬戸内海沿いに北上。瀬戸内海の上には中秋の名月が輝いていた。
ロスすること1時間半ほどで、やっとこさ岩国ICに戻る。
帰って地図を見るといかに遠回りしたことか!!!

宮島SAで遅めの夕食をとり、自宅に戻ったのが11時頃だった。

道を迷ったときに、早めに車を止めて、地図を見るべきだった。反省!

9月17日 福岡へ

2005-09-17 21:00:00 | Weblog
9月17日(土)
福岡の空き家の整理のために福岡へ。
家内も運転するというので、家内の車で行くことにする。10時頃に自宅を出て、東山でガソリンを給油し、インターを目指して旧2号を西へ。
長瀬まで来たところで、整理する家の鍵を忘れたことに気づき、Uターン。
往復10kmほどロスをする。高速に乗る前でよかった。
運転は家内に代わり、道を変えて2号線バイパスで一路西へ。
倉敷を越えて、高梁川を渡り玉島ICで山陽道へ乗る。
高速を運転するのはほとんど初めての家内なので、基本的に走行車線を走る。
90km前後でコンスタントに走るトラックを見つけ、それに着いて行くようにする。
トラックが追い越しをかければ送れて追越をし、またトラックの後ろに。
ということで、福山SAまで。

先の台風の路肩崩れで岩国ICから玖珂IC間が普通になっているので、その情報聞く。
この間18km。でも九州に行くのなら広島から中国自動車道へ行くことを進められる。

運転代わって私が運転し、小谷ICへ。岩国が近いからもう少し情報が得られるかと思い、SAのインフォメーションへ。やはり中国道を進められる。一般道の2号線も通行止めになっていたのが解除されてたばかりとのこと。で、中国道に決定する。

広島ICを超えて少し行くと中国道への広島JCT。
中国道へ入る車はそれほど多くない。
山陽道ができるまでは中国道しかなくて、何度か通ったことがあるが、その頃は中国道の広島から西のほうは軒並み一車線の対面通行だった。トンネルが多く、その中で渋滞でとまったときには追突されないかと怖かった思いがある。
さすがに対面通行こそなくなっていたが、長いトンネルには変わりがないし、カーブ、アップダウンも山陽道よりきつい。やっぱり好きにはなれない。

といいつつ山口JCT。ここは山陽道の合流点。山陽道を走ってくると、ここで中国道と合流し、とたんにカーブがきつく感じられるところであるが、ずっと中国道を走ってくると、ここで平地になり、カーブがゆるく感じられる。早く山陽道が完成してもらいたいものだ。

美東SAで運転交代。家内へ。下関壇ノ浦SAまで。
ここは関門橋の下にあるSAで、橋が面前に、関門海峡が真下に見える見晴らしがいいSA。いつもここでは休憩する癖がついている。

壇ノ浦で雲煙を変わり、あとは九州に入って小1時間ほとで大宰府IC。ICから家までは細い道を15分ほど。中国道を経由したので少し時間がかかり7時間弱で着いた。

明日送る荷物の整理、倉庫の整理を暗くなるまでする。
お盆のときに満員で入れなかった焼肉屋へリベンジ。

9月15日 後輩の訃報

2005-09-15 21:22:05 | Weblog
9月15日(木)

朝9時集合。昨日は車を職場に置いたまま、広島日帰り。そのまま家に戻ったので車がない。久しぶりに自転車で職場へ。8時過ぎに着く。

9時までにメールでも整理しようとメールを開くと、福岡の高校の一年後輩の訃報が入っていた。昨日の10時過ぎと、16時過ぎだった。広島のセッションが終わった直後に気づいていれば、昨夜の通夜には行けたが、仕方がない。葬儀は今日の午後1時から。業務、会議が入っており、休むわけにはいかない。

とりあえずインターネットから弔電を打つ。
悪性リンパ腫で入院して闘病していたとか。全然知らなかった。
母の時にはある程度覚悟もしていたので、それほど驚かなかったが、後輩の訃報はいささかショックだった。
3月20日の福岡西方沖地震の直後に交わしたメールが最後になってしまった。

そんなこんなで9時の集合に遅れそうになりながら、業務へ。
9時15分から1時間おきに3件。3件目は問題点が少なくて、11時半には終わる。
そのまま早めの昼食へ行き、戻って午後からの会議の資料の整理、発言要旨をまとめる。
14時から会議。16時まで。

9月14日 広島プリンスホテル

2005-09-14 23:00:00 | Weblog
9月14日(水)

ローマに観光旅行へ出かける娘を空港まで送る。
ソウル乗り換えの、ローマ直行便とか。
6人で行くというが、4人にしか会えず職場へ。

09:00 集合
09:15より1時間おきに3件の処理。
12時過ぎに終わったところで、学会へ。

バスで岡山駅西口へ。
西口にもクレジットカードでの自動発券機があった。
レールスターのオフィスシートを手に入れたかったが、満席でだめ。
サイレンとカーに空きがあった。

在来線からの乗り換えのコンコースでカレーを昼食に取り、
新幹線へ。広島までは40分ほど。
昨夜のパワポに手を入れて、とりあえずまとめる。

広島には13:31着。表口に出て、ホテル行きのバスを見ると、ちょうど37分のバスが出た後で30分ほど後の14:10頃までない。そのバスに乗ると、15:00のセッション開始にはぎりぎりになりそう。

バス停の横の電停を見ると、ちょうど比治山下経由宇品行きの電車がいる。
電車に乗り込んで横を見ると、広島の繁華街・紙屋町超経由する宇品行きもいた。
そちらが直前に出発したが、それよりは比治山下経由の方が早く着くはず。

皆見町6丁目を過ぎると懐かしい電停の名前が並ぶ。
30年前ほどに住んでいた街、最初の日に布団を買いに行った店も健在だった。

元宇品まで30分ほど。14時過ぎに着く。島の南端のホテルまでは1.5kmほど。
20分ほどだろうか?
途中シャレたカフェもあった。
一汗かいたところで高層ホテルが現れる。ホテルの手前は駐車場(なんと、有料だそうだ。こんな不便なところにホテル利用者以外が来るとは思われないが。何で有料?)

2階で受付を済ませ、パワポのファイルを会場のPCへコピーして準備完了。
15時からのセッションでは一人10分の持ち時間で8人。その後フロアからの質問、意見。
17時に次のセッションのために部屋を明け渡す。

つづいて別の学会の打ち合わせが19時半頃まで。
懇親会に出る者と分かれて、来るまで来ているMに駅まで送ってもらう。30年前にはなかった新しい道で宇品から千田町公園(ここは旧広島大学工学部跡)をかすめて、鷹野橋(ここでどこに出てきたかわかった)、紙屋町から城南通りから広島駅新幹線口へ。駅前d降り、車をホテルにおいてくるMを待つ間に場所を物色する。

結局2階の新幹線コンコース横の居酒屋風の店に座り込んで飲み始める。

9時過ぎの新幹線で岡山へ。Hの奥さんの迎えの車で家まで送ってもらう。

疲れてそのまま寝る。

9月13日

2005-09-13 20:00:00 | Weblog
9月13日(火)

10:00-11:00 明日からの業務の練習(シミュレーション)
15:00-15:30 制度WG
16:00-17:00 運営委員会

18:00頃 総合演習Wの相談(水質)がくる。データを眺め、PCAをかけるために
    ○にサポートを依頼する。

夕食後、明日の学会発表のパワポ作成。
論旨がまとまらず、筆進まず。

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この日の20時頃に高校の一年後輩のPeが亡くなった。
「悪性リンパ腫で4ヶ月ほどの闘病を経て
 容態が急変しました。」
5月頃からけご病院に入院していたとか。

9月12日

2005-09-12 19:59:23 | Weblog
9月12日(月)
忙しい一日だった。
09:30-10:30 木曜日の会議の打ち合わせ
戻ってくるとまずkが書き直した予稿を持ってくる。
「はじめに」に赤を入れる。
11:00-11:30 総合演習W相談1(台風)
13:30-14:00 来客
14:00-14:30 総合演習W相談2(少子化)
事務所によって配布資料をもらて
15:00-18:30 岡山グランビアで進学相談会

グランビアから戻ってくると、昼休みに電話していたmが浮気の帰り道によってくれたようで新しい書類ができていた。

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香港デズニーランド オープン
ちなみに今日は私の誕生日

9月11日 総選挙

2005-09-12 05:13:26 | Weblog
9月11日(日)
今日は選挙の日。小泉自民党優勢の話が伝わってくる。
正午頃家族で投票へ。この時間帯は混み合っていた。

投票をすませスパゲッチ屋へ。ここも混み合っており、
待ちの三番に並ぶ。

昼食後、家内、娘の買い物につきあう。

夜の8時過ぎから開票速報。というより、開票の数値が出る前に
出口調査に基づく当落がどっと出る。

自民党圧勝の予想。300を大きく超えそうとの数も示されている。

結局296だったが、それでも圧勝には変わりない。
公明党と合わせて三分の二を押さえ、参議院で否決されても、
衆議院で決定ができるようになった。

解散のとき、この結果を予想できただろうか?
郵政反対派を切り捨てた状態で与党過半数が可能だろうかと思った。
それが「刺客」を送るは、ホリエモンを送るは、と、
選挙を、「政治」から「バラエティ番組」にした頃から世間の
風が変わってきた。
このバラエティのプロデューサーは言うまでも無く小泉さん。
暴走しないことを祈る。

9月10日

2005-09-10 22:00:00 | Weblog
9月10日(土)
朝、薬もらいに定期的な病院通いをして昼前に職場へ。

PCを起動してメールの整理をしていると、メッセンジャで職場に来たのが分かったのか?すぐにkがやってくる。10月の学会の予稿締め切りが月曜日。その下書きを持ってきたので、話を聞きながら赤を入れる。

赤を入れ終わって1時過ぎに昼飯へ。昨夜のうどんがおいしくなかったので、岡山でうどんに挑戦。時々行ってる店だが、日替わりセットができていたので、それを注文したところボリュームがありすぎた。失敗。返り討ちにあった気分。

kの希望で帰り道PC工房へ。
特に面白いものはなかった。

2時半頃に職場に戻ると、来週発表の院生が発表のスライドを持ってくる。
とりあえず発表スタイルで喋らすと、持ち時間15分のところ、8分ほど時間オーバー。削るのも難しい。

小部屋にルーターが一台余っていたので、そうそうKが欲しいと言ってたことを思い出し、マニュアルを引っ張り出した初期化する。

書類を片付けていると、8時過ぎにkが予稿を書き直して持ってくる。
2-3指示して、そろそろ帰るぞと帰宅を促す。

玄関を出ると何と雨が降っていた。
そういえば、朝は小雨が降っていたが、昼は晴れていたので、雨のことはすっかり忘れていた。傘が無いkを下宿近くまで送って帰宅。

玄関に娘が購入した大きなスーツケースが届いていた。

9月9日 徳島にて

2005-09-09 21:00:00 | Weblog
9月9日(金)

今日は徳島市の北端の「しょうすい」へ11時前に。
場所がよくわからないので少し早めの9時にホテルを出る。
うろうろ道を探して1時間もあれば着くだろうと思っていた。

昨日と逆コースで高松道を板野ICで降り、県道を東進する。
目的地がこの県道とどんな位置関係にあるかわかっていなかったが、JRの線路を横切って一本、二本南側のブロックだろうと予想していた。

予定通りJRを高架で超える。さて、南のほうへと思っていたら、交差点の右側に目的地の案内板が見えた。あわてて、右折。Uターンに近い鋭角に曲がる。
と、目的地はすぐだった。

道に迷うことなく、ホテルから30分ほどで着いてしまった。

少し早めだったが、そのまま訪問し、ゆっくり調整する。

説明と相談を4回繰り返すと思っていたら、説明を8回。
のどが枯れてしまった。

そのあと多目的室(体育館みたいな作りだった)で個別相談。

ここは冷房がなくて暑かった。これは考えてほしいものだ。

相談者が多くて、予定より伸び、5時ころに終わる。

帰りは逆の道で通い慣れた板野ICから高松中央ICまで45Kmほど、30分程度。高速の前後を入れて、高松駅前に着いたのが6時過ぎだった(通勤割引:1050円)。

せっかく四国に来たのだからと、高松駅に隣接する駐車場に車を止める。
サンポートタワーで讃岐うどんでもと思い、高松出身のKに電話し、おいしいうどん屋はどこだと聞く。と、サンポートタワーにはうどんやはありませんよ。そこはラーメン屋ですよと言う。案内板を見ると、確かにラーメン屋しか出ていない。
駐車場に車を止めてしまったので、ここから歩いていけるところという条件で頭をひねってもらう。出てきた三越裏まで歩くのがいやになって(疲れてるな)、おいしい店は無いという駅前のうどん屋に入る。たしかにおいしくなかった。

駐車場に戻ると30分しかたっていない。そのままフェリー乗り場へ行くと、丁度、フェリーが入ってくるところで、ほとんど待ちなしで、乗り込む。

トラック便が瀬戸大橋でなくてフェリーを使う理由がよくわかった。
フェリー上の1時間はいい休憩になる。

宇野に着いたのが20時をちょっと回ったところだった。

20:37 自宅着、走行距離292km。

9月8日 徳島へ

2005-09-08 21:00:00 | Weblog
9月8日(木)
仕事で徳島へ。
8時半過ぎに家を出て、宇野の四国フェリーの乗り場へ。JR宇野駅から一番近いフェリー乗り場と宣伝していた。昨夜サンクスで購入していたチケットで片道2700円。9時38分に乗船。高松まで1時間。船内の売店は閉まっていた。

高松からは国道193号線で栗林公園、高速道路高松ICの下をくぐり、高松空港を横目に、塩江温泉を通って峠を越えると阿波の国。徳島道の脇町ICを通り過ぎたところで一仕事。丁度12時過ぎで昼休みで会えないかなと思ったが、無事面会できて訪問をはたした。脇町ICに戻り高速に乗り、途中のPAで昼食。横を吉野川がゆったりと流れている。徳島道の終点・徳島ICで高速を降りる(1200円)と自然に徳島市の繁華街へ誘導される。
徳島市内で6ヶ所訪問。最後の訪問先をたずねたのは4時半過ぎで、5時までには今日の予定を終了した。

徳島市内に宿を取りたかったが、何でも「応用物理学会」が徳島大学で行われているようで、徳島市内は言うに及ばず、隣の鳴門市内でも開いてるホテルはなし!!!

しょうがないので、高松方面に戻ることにし、東かがわ市三本松に宿をとる。ここ出身の院生がいて、ホテルありますよ、と言うので、その「三本松ロイヤルホテル」を予約しておいた。高松道の「白鳥大内IC」から数分の所。徳島市の北端からは鳴門に入って夕方のラッシュに巻き込まれるのもいやだったので、県道を西進し、板野ICで高速に乗る。ここは徳島道と高松道が繋がっていない現在では乗り換えに便利な所らしい。板野ICから三本松の白鳥大内ICまでは18Km程度で15分ほど。通勤時間帯割引で300円。これだったら、そう遠いと言う感じでもない。


これはホテルの部屋からの三本松の町並み。

まだ、明るいうちにホテルにチェックイン。小さな街には不釣合い(?)の小さいがりっぱなホテルだった。
さて、夕飯。どこか居酒屋でもと思ったが、これが無い!!!
どこかにあるのかも知れないが、見つからない。それよりも夕食を取れる店(レストランとは言わないが)がほとんど無い。これには参った。

なんとかステーキ屋を見つけて、夕食をとる。