四国遍路八十八ヵ所 | |
24番最御崎 室戸岬にたつ土佐路最初の札所。足利時代は土佐の安国寺となり、その後も皇室や領主の尊崇があつく、七堂伽藍の整った巨刹だったそうです。 | |
室戸崎灯台 明治32年に点燈。250万燭光(光源は最初は石油、大正6年電化)、光の届く距離26.5海里(約49km)、 光力の点では日本一だそうです。 | |
25番津照寺 室津港にあり津寺とも呼ばれる。紀貫之が任を終えて都に帰る途中海が荒れて10日間この港で天候の回復を待ったと「土佐日記」にあります。 | |
26番金剛頂寺 昔は七堂伽藍が整い寺領三千五百石を持ち藩主の長曾我部、続いて山内家の保護を受け栄えたようです。 | |
27番神峰寺 昔、神功皇后が三韓征伐の時、戦勝を祈って天照大神をはじめ諸神をこの地に祭ったといわれています。神仏分離が行われ本尊を他に移して、一時は廃寺だったそうです。 | |
28番大日寺 天平の昔、行基菩薩が大日如来を刻んで本尊として開創、815年弘法が楠で薬師如来を刻んで奥の院に安置28番の札所にしたそうです。 |
四国遍路八十八ヵ所 | |
18番恩山寺 弘法大師の母 玉寄御前が訪ねてきたが、女人禁制であったため、大師は仁王門の辺りまで山をおり、7日間秘法を修し女人解禁の祈念を成就、孝養を尽くしたといわれています | |
19番立江寺 関所といわれ悪い事や邪心を持っている人は、お大師のお咎めを受けて先へは進めないと、昔のお遍路さんは信じていたそうです。 | |
20番鶴林寺 標高550m。 2羽の白鶴に守護された金の地蔵尊像が、合掌している大師の手の上に。霊木で1mの地蔵菩薩を刻んで、金の尊像をその胎内に納めて本尊としたそうです。 | |
21番太龍寺 蜂須賀藩主が寄進した本堂・求聞持堂などがあり、老杉が堂々としています。 | |
22番平等寺 13段の女厄坂大厄は33歳なので不足の20段は足踏みして登り、男厄坂は41段なので1段は足踏みするそうです。 | |
23番薬王寺 男厄坂・女厄坂があり開運厄徐を願う善男善女が1段ごとに厄銭を置く風習があり、石段に1円玉や10円玉が置かれています。 |