舟屋の里
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四国遍路八十八ヵ所 | |
29番国分寺 お寺のある地名後免は、昔地域の発展をはかるため諸税を免除したので後免の名が生まれた。2層の立派な仁王門は、土佐藩主山内忠義の寄進といわれ、上層部につるされた梵鐘は国の重要文化財です。 | |
31番竹林寺 境内から高知の市街、浦戸湾から桂浜まで一望できる。近くには「南国土佐をあとにして・・・」の記念碑や、牧野富太郎博士の植物園・記念館があります。 | |
32番禅師峰寺 神亀(8世紀前半)行基菩薩が太平洋を行き交う船の安全を祈って自作の十一面観音を本尊に、堂を建てたのが始まりと伝えられています。 | |
34番種間寺 弘法大師が唐から持ち帰った穀物の種を付近に蒔きつけ、薬師如来を本尊として堂舎を建立したといわれています。 | |
35番清滝寺 参道は柑橘畑のなかを上り坂が続く。弘法大師がこの寺を訪れ17日間修法、満願の日に金剛杖で地面を突くと清水が湧き出し清滝寺と改めたそうです。清流は特産の土佐和紙作りにも役立っているということです。 | |
36番青龍寺 本尊の波切不動明王は海で働く人々の信仰を集め、海上安全の祈願をし出漁のときには、お寺の前の沖合いで船をひと回りさせて出掛けていく習慣があるそうです。 横綱朝青龍は明徳高校時代ここの石段でトレーニングに励み、四股名は校長先生がここからつけたそうです。 |
四国遍路八十八ヵ所 | |
24番最御崎 室戸岬にたつ土佐路最初の札所。足利時代は土佐の安国寺となり、その後も皇室や領主の尊崇があつく、七堂伽藍の整った巨刹だったそうです。 | |
室戸崎灯台 明治32年に点燈。250万燭光(光源は最初は石油、大正6年電化)、光の届く距離26.5海里(約49km)、 光力の点では日本一だそうです。 | |
25番津照寺 室津港にあり津寺とも呼ばれる。紀貫之が任を終えて都に帰る途中海が荒れて10日間この港で天候の回復を待ったと「土佐日記」にあります。 | |
26番金剛頂寺 昔は七堂伽藍が整い寺領三千五百石を持ち藩主の長曾我部、続いて山内家の保護を受け栄えたようです。 | |
27番神峰寺 昔、神功皇后が三韓征伐の時、戦勝を祈って天照大神をはじめ諸神をこの地に祭ったといわれています。神仏分離が行われ本尊を他に移して、一時は廃寺だったそうです。 | |
28番大日寺 天平の昔、行基菩薩が大日如来を刻んで本尊として開創、815年弘法が楠で薬師如来を刻んで奥の院に安置28番の札所にしたそうです。 |
四国遍路八十八ヵ所 | |
18番恩山寺 弘法大師の母 玉寄御前が訪ねてきたが、女人禁制であったため、大師は仁王門の辺りまで山をおり、7日間秘法を修し女人解禁の祈念を成就、孝養を尽くしたといわれています | |
19番立江寺 関所といわれ悪い事や邪心を持っている人は、お大師のお咎めを受けて先へは進めないと、昔のお遍路さんは信じていたそうです。 | |
20番鶴林寺 標高550m。 2羽の白鶴に守護された金の地蔵尊像が、合掌している大師の手の上に。霊木で1mの地蔵菩薩を刻んで、金の尊像をその胎内に納めて本尊としたそうです。 | |
21番太龍寺 蜂須賀藩主が寄進した本堂・求聞持堂などがあり、老杉が堂々としています。 | |
22番平等寺 13段の女厄坂大厄は33歳なので不足の20段は足踏みして登り、男厄坂は41段なので1段は足踏みするそうです。 | |
23番薬王寺 男厄坂・女厄坂があり開運厄徐を願う善男善女が1段ごとに厄銭を置く風習があり、石段に1円玉や10円玉が置かれています。 |