松阪市散策 | |
松阪商人の館 公開されているのは豪商小津家 江戸時代前期に いち早く江戸や京・大阪に出店。 創業1653年紙店・木綿店から1755年には 三井・長谷川・長井などと、紀州藩の御為替御用を 命じられている。 | |
かまど 家族・使用人の食事の為だけでなく、お伊勢参りの 人々に接待したそうです。 | |
万両箱 千両箱が10個入れられ、床下に埋設。 | |
井戸屋形と奥は厠棟 厠は使用人や来客用のものだったようです。 | |
江戸木綿問屋 長谷川邸 千本格子・虫かご窓・妻入りの蔵・うだつの 上がった屋根など、非公開ながら当時の繁栄 ぶりがうかがえます。 | |
静かなたたずまいの町並みが続きます。 |
松阪城跡・本居宣長記念館 | |
松阪城跡 蒲生氏郷が豊臣秀吉に12万石を与えられ築いた城で、日本の歴史公園百選に選ばれています。 | |
本居宣長記念館へ 宣長ゆかりの重要文化財約16000点が 保存展示されています。 | |
「鈴屋」 宣長が暮らしていた邸宅を移築したもの。 36コの小鈴を赤い紐で結んだ柱掛鈴を書斎に掛け、 執筆に疲れた時に鳴らしていたそうです。 | |
本居宣長44歳自画自賛像 医師でありながら、「古事記伝」・「源氏物語」や和歌を深く研究。「大日本天下四海画図」は17歳の作と聞き驚き。展示物を見て益々偉大なる国文学者であったと実感。 | |
712年にできた現存最古の歴史書である 「古事記」を、35年の歳月をかけて解読、執筆した 44巻の「古事記伝」 | |
御城番長屋 松阪城を警備する紀州藩士とその家族の住居として1863年に建てられ、屋敷は現在も子孫の方々が維持管理、一戸が一般公開されています。 |
伏見(八幡堀)を訪ねて | |
弁天橋から見た八幡堀十石舟の乗り場です。 江戸時代、京都と大阪を結ぶ中継地として栄えた港町の歴史を伝えようと運行しています。 | |
川沿いに連なる風格ある酒蔵と緑鮮やかな柳は 風情があり、スケッチのポイントとして愛好家が 集まります。 | |
小さな橋をくぐりながら、三栖閘門まで進みます。 | |
三栖閘門です。濠川と宇治川の間を舟が通航できるように建築されたものです。 | |
十石舟の乗船場のすぐそばにある長建寺です。淀川を往来する廻船の守護神として信仰を集めてきました。 | |
町には酒蔵を改装した食事処や坂本竜馬の定宿だった寺田屋があります。 |
スュレイマニエ・ジャーミィ 1550~1557年完成
生憎全体像の写真が撮れていませんが、オスマン帝国が最も繁栄した時代の、
第10代スュレイマン大帝が、トルコ最高といわれた建築家ミマール・シナンに造らせた。
59m×58mの床面積に直径26.5mの円形の屋根、高さ53m、
4本の巨大な柱と東西の半円ドームで支えられている。
内部のステンドグラスや書道の大家に書かせたクルアーンのカリグラフィも見事です。
ブルーモスクの名で親しまれているスルタンアフメット・ジャーミィ
ミマール・シナンの弟子により1609~1616年完成。
6本のミナーレ(尖塔)を持つイスラム寺院は珍しい。イズニックタイルは青を主体としている。
当時1枚が金貨7枚分と高額だったそうです。
アヤソフィア博物館
325年アヤソフィアの元となる教会の建築が始まり、
再三の災難の後、537年に5年の歳月で完成。
ビザンツ建築の最高傑作と評されたギリシャ正教会の聖堂も
1453年イスラム寺院に姿を変え、聖堂内のモザイク画が漆喰で
塗り潰された。1931年アメリカ人の調査隊により発見、その後
博物館として一般公開されています。
イスタンブールはまだまだ見たい所(カーリエ博物館、ドルマバフチェ宮殿等)
いっぱい残し、16日間の旅が終わりました。
ホテルも最高でみんなともう一泊したいねと話し合ったものです。
歴史の勉強をして、もう一度訪れたい国です。
「スリや引ったくりに注意」と言われながら、一方では子供たちの
人懐っこい笑顔、朝の散歩で呼び止められチャイとクッキーをご馳走して
下さったホテル近くの家の方、言葉は通じ無くても心は暖かな素敵な時間でした。
もっと沢山「思い出」としてブログに残したかったですが、
何分力不足でこのぐらいに致します。