★・イベントの幟・・
~NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で一躍この地は
全国に知れ渡った・・。^
~織田信長の妹 「お市」の三女として、天正元年(1573)に
生まれた「「江」は信長の死後、秀吉に保護され
大野城主・佐治一成(18歳)に嫁いだ・・。~
~現在は常滑市の一部の尾張大野は、平安期にすでに湊町で、
中世以来「大野荘の湊」としてその名在り。
~大野湊は三河から、伊勢への道筋でもあって、海事・軍事の
要地であり、戦国期には、佐治氏率いる大野水軍は、織田信長や
豊臣秀吉も無視できない、拠点だった。
~戦国期には伊勢湾の海賊や、大野水軍で恐れられた大野湊も、
江戸期には、潮湯治とよばれる海水浴の一種で人気となり、
尾張藩主をはじめ、徳川家康もこの地に滞在したと言われる。
~江戸時代の大野は湊に加えて、酒や味噌などの醸造業に菓子
・木綿などを加えた問屋・仲買を中心とした商工業の町に発展し、
当時の常滑の人口1,400人弱に対して3,400人を誇る町という。
この時代に、大野では木下仁右衛門家が、知多郡酒支配を命じられ、
大野だけでも17軒の酒蔵があり、郡内最大の酒屋数を有していた。
~現在大野地区に酒蔵は1軒も残っていない。が・・
当時の常滑村を凌ぐ名残の、伝統的な商家や町家、土蔵が
狭い路地のに今も残っている。
~~古に栄え、江戸時代には醸造・木綿・大野鍛冶が発達し
多くの豪商が生まれた土地柄・・。~
★・帳場・・
~先に記したこの帳場は「三河屋」の縁の家屋
その時代を 彷彿とさせる・・。~
★・五つ玉のそろばん・・ 《充分今も使える代物》
~大福帳も・・
★・厨子・箪笥・ 《家財道具も重厚で・・
★・提灯箱・・ 屋号の山マーク・三の焼き印が・・
~欄間に掲げある箱は、使用後の提灯を畳んで箱に収める
夜の外出の、必須携帯品だった・・ 街燈さえない時代が偲ばれる。
★・六曲一双・屏風・・
★・屏風・・↑の部分。
~《恋物語の絵図・・》
★・文机・・
~黒檀の文机・蒔絵の文箱・手火鉢・煙草盆?
左側に燈明台が・・~
★・重箱・・
~蒔絵の重箱・・漆で紋様が描かれ金銀の色粉を撒き付毛て
蓋裏も絵のあしらいありて・・
一級の漆器工芸品、保存状態良好、手入れもよくて凄い!・・。~
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