★~~【大正と昭和まるごと 生ききって
母百歳の 生涯を閉づ】~~★
★【母が逝って七年 祥月命日の今日 娘と墓参に常楽寺へ
朝から小雨模様・・止み間を見はからって濡れることなく
参拝を済ませた・・これは御加護!】
★~~【ふた親の眠りしみ墓の 常楽寺
葵の御紋 キラリ光れり】~~★
★【1484年 開創のみ寺。 家康公と第八世住職は
いとこ。桶狭間・本能寺の変の折 常楽寺に立ち寄っている
徳川家ゆかりの寺 尾張藩主初代より 知多随一とお墨付きを。
★~~【節太く爪の形は 悪しきとも
母の介護に この手頼もし】~~★栗木京子・選
★【父親の病死は母40代で 姉が11歳ワタクシ9歳弟は
乳飲み子と悲惨だった が・・大正元年子年の母は強く生きてくれた
お陰で 姉妹離散することなく現在がある 今思えば
子の成長のみを 願い無償の愛に 生き抜いた母はである。
御多分に洩れず 90歳過ぎて介護を要することと成るも
ホームヘルパー2級の講習を 終えていた私は お役目と努めた
(この歌は栗木京子先生の選で新聞に載りました)
★~~【海沿いを車跳ばして 往くホーム
表情 薄き 母待ちゐたり】~~★栗木京子・選
★~~【母 在すホームの灯りに もう一度
サヨナラを言い アクセルを踏む】~~★稲葉京子・選
・いずれも女流歌人の先生の選歌にとても嬉しかった事が蘇ります
【母の80代はお仲間とゲートボールに親しみ楽しむ日々を経て
足腰の痛み伴なう通院、補聴器装備等々の諸々あって・・
姉妹で話し合い、入所の手配と順次 辿りました
★~~【形見なる日傘に糸文字 色褪せて
母の名あるを たたみて巻きぬ】~~市長賞
(芸術祭参加・短歌大会)
【今は死語となったいわゆる「未亡人」を生きた母、形見分け
などは無い 下駄箱にあった日傘をひとつ貰いました
私の体操服など名前は糸文字で・・きっと趣味?であったのでしょう・・】
【今日 想う事】・「人の一生は短い」この世にあっては人の言葉に
よって頑張れもし 逆に潰されることもある。母は多分 他から多くの
励ましを受け 又自らを励まし逆境に耐え 懸命に生きた一世紀だった。








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