ゑんぢんぶろぐ

のんきそうには見えますが頭の中は不安で一杯。あまり過大な期待と責任は負わせない方が互いにとって身の為です。いやマジで。

「ざ・めもりあるMemorandums」

2020年07月19日 23時48分37秒 | メモリアル
「強頸絶間」跡碑。

大阪メトロ谷町線「千林大宮」から東へ徒歩10分。ネットを頼りに迷宮をさまよいつつ発見。

ちなみにこのツブヤキはこの碑を探していた時のモノっ[CLICK HERE!]



これで「こわくびのたえま」と読む。
軽くググってみたが意味が解らん。オレなりに切り貼りしてみたが…

日本書紀には、難波宮の北に堀を掘り(名付けて「堀江」というが、現在の「天満橋付近の淀川」説もある)、上町台地の東側にあった旧大和川などの滞水を海へ導き、水害を防いだ記録がある。
それと同時に、淀川の治水対策として堤防も築いたという。その築堤は難工事で、川の神に「いけにえ」を差し出すことになり、武蔵の「強頸」が人柱に。
これはその伝説にもとづいた碑である。




立て看板の方も似たようなモン。ついでに大阪市のサイトも似た感じ。
こういう古文書を平易な現代文に訳すだけで興味を持つ人が増えると思うんだけどなぁ。

「強頸」が人柱にされたヒトの名前、「絶間」は(ここでは堤防の)切れ目…。
「強頸」さんが人柱になって「堤防の切れ目」を工事したので、その場所を「強頸絶間(こわくびのたえま)」と呼ぶようになったと。



なお「跡」とあるからには、本物?の「碑」があるワケで…大正時代に建立された石碑があるらしいが、私有地内に在るため非公開とか。

意味有り気な「石」が置いてある(だからフレームに入れたんだが)…途中で「京都のイケズ石」じゃないかと思い始めた。
今もって真相は不明←

「イケズ石」…狭い路地が多い京都で、車が壁を擦るなどの事故からの自衛手段として敷地の角に置いて家を守る石。


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