2018年8月8日(水曜日)晴れ。28℃~16℃。降水確率0%。湿度69%。北の微風。紫外線量9。今、セトゥーバルではサンチアゴ祭りの最中だが、もう随分と行っていない。午前中は小さな雲が浮かんでいたが雲は消え去り快晴。きょうもサド湾が美しい。
大きな段ボールに牛乳パックのアルミコーティングを貼り、ベランダの熱除けを製作。(以前のは少し古びて拠れて来たので)
『きょうのニュース』モンシックは消火に1200人以上、380台の消防自動車を投入しているにも拘わらず依然6日間も燃え続けていて、シルベスやポルティマオンまで広がる危険性。スペインのヴァレンシアでも山火事。カリフォルニアの火災も消火できず。インドネシア地震ではオーストラリア観光客など帰国できず足止め。ポルトガルの失業率は6,7%。BMWのエンジンから火が出る恐れ、エンジンは韓国製か?グッテレス国連事務総長が長崎原爆記念日式典に出席。
モンシック火災はシルベス周辺の小さな村にも炎が迫り、GNR(警察)が住民に避難を呼びかけるが、煙が充満し大変なパニック状態。
『昨夜の映画』は
『K-19』(K-19: The Widowmaker, 「K-19 未亡人製造艦」の意)は、潜水艦を主題にした2002年のハリウッド映画。138分。監督: キャスリン・ビグロー。ソ連のホテル級原子力潜水艦K-19が1961年7月4日、北海グリーンランド付近で起こした事故を元に製作された。 米ソ冷戦下、ソ連の原子力潜水艦K-19は航行実験において、突然原子炉の冷却装置に故障をきたした。原子炉のメルトダウンも考えられた危機的状況に対して立ち向かう艦長と放射能の危険と隣り合わせで修理に奮闘する搭乗員の活躍を描く。(Wikipediaより)
『K-19のネタバレあらすじ』1961年。冷戦時代真っ只中のソ連とアメリカは競い合うように核兵器の軍備を増強していました。ソ連軍は原子力潜水艦「K-19」を用いて核弾道ミサイルの発射シミュレーションが行われましたが失敗に終わり、艦長のミハイル・ポレーニン(リーアム・ニーソン)は無能な整備員と部品の不良を軍上層部に訴えますが、新たにアレクセイ・ボストリコフ(ハリソン・フォード)を新艦長に、ポレーニンを副長に指名され、ゼレンツォフ国防相(ジョス・アクランド)からK-19の処女航海を命ぜられます。軍上層部はK-19にテストミサイルを発射させ、アメリカに対抗できる兵器があることを誇示しようというのです。ポレーニンは航海は時期尚早と進言するも聞き入れられず、訓練学校を出たばかりの新米原子炉担当官ヴァディム・ラドチェンコ(ピーター・サースガード)、政治局員アイゴール・ススロフ(ラビル・イスヤノフ)らを乗せたK-19は出航します。出航早々からボストリコフは電気系統故障の訓練や魚雷移動訓練など数々の訓練を繰り返し、海面が凍結しているというポレーニンの進言を無視して無理やり氷を突き破り浮上します。艦や乗組員を危険にさらすようなボストリコフの命令にポレーニンは反発します。テストミサイル発射は成功し、乗組員は喜びに沸き立っていましたが、ボストリコフに反感を抱く乗組員デミチェフ(スティーヴ・ニコルソン)はポレーニンに「我々の艦長はあなただけです」と告げました。一方、ラドチェンコは原子炉の冷却装置に異変を感じ取っていました。休憩を終えたK-19は再び出航しますが、とうとう原子炉の冷却装置が故障して炉心温度は上昇、更に放射能漏れの危険性が高まってきました。このままでは艦は数時間以内に核爆発してしまいます。報告を受けたボストリコフは、対策会議が開かれ、ボストリコフは艦内の任務続行は不可能とするポレーニンの意見を退け、事態を解決したうえで任務を続行すると決断します。急遽対策会議が開かれ、ボストリコフは艦内の30トンの飲料水を冷却水の代用とすることを決めますが、飲料水をパイプで炉心に運ぶには原子炉の中に入らなければならず、放射能汚染を最小限に防ぐためにも短時間で作業しなければならないのです。ボストリコフは避難すべきとするポレーニンの意見を却下し、二人一組・10分交代で作業に当たらせることにします。乗組員の被曝しながらの決死の作業も虚しく、状況は刻一刻と悪化するばかりでした。ポレーニンは近くを航行するアメリカの駆逐艦に救援を求めようと進言しますが、ボストリコフは乗組員の安全よりも国益を優先して救援を拒みます。このままでは乗組員の命は危ういと感じたデミチェフは、ボストリコフは放射能汚染で正常な判断能力を失っているとしてススロフらにクーデターを呼びかけ、ボストリコフに銃を向けて拘束します。そんな中、原子炉内に入ったラドチェンコは決死の作業で何とか応急処置を成功させますが、大量の放射能を浴びて倒れ込んでしまいます。解放されたボストリコフは乗組員の功績を讃え、艦の乗組員は救援の潜水艦に救助されましたが、原子炉内で作業した作業員らは助かりませんでした。ボストリコフは事故の件では無罪になるも潜水艦勤務はこれが最後となり、乗組員には箝口令が敷かれました。時は流れ、ソ連が崩壊後、乗組員たちは固い口を開き事故のことを語り始めました。再会したボストリコフとポレーニンは犠牲者の眠る墓地に向かい、彼らの行いは海軍や国のためでなく仲間たちのためだったとして祈りを捧げました。(映画ウォッチより)
『愛の果てに』(Innocent)1993年。イギリス、ドイツ共同制作。139分。監督:ジョン・シュレシンジャー。1955年、米・英・ロシアの分割統治下にあったベルリン。英国の謀報活動への協力を要請された英国人青年のレナード(キャンベル・スコット)は米国人グラス(アンソニー・ホプキンス)の仕事に参加する。レナードはグラスに連れられたクラブで年上の美しいドイツ人女性マリア(イザベラ・ロッセリーニ)と出会い、彼女と恋に落ちる。米・英の計画は、ソ連地区との境界までトンネルを掘って彼らの通信を傍受するというもので、“黄金作戦”と呼ばれていた。マリアと婚約したある日、彼女の夫オットー(ロナルド・ニチュケ)が現われ、“黄金作戦”の情報と離婚の承諾金として1万マルクを要求した。激しく言い争ううちに、2人はオットーを殺してしまう。レナードは死体を切断してトランクに詰め“黄金作戦”のトンネル内に隠すが、すぐに発見される。マリアは全てをグラスに打ち明け、レナードを救ってほしいと頼む。グラスは彼を軍事輪送機に乗せてベルリンを脱出させる。マリアは全てを引き受けてくれたグラスと共に残る道を選んだ。24年後、壁が取り払われたベルリンで2人は再会し、解放感に満ちた笑顔を交わした。