医大生・たきいです。

医大生的独言。

問題文をきちんと読むということ

2016-04-23 23:59:59 | 医大生的生活

酔っぱらったまま寝た翌朝、起床時腕が上がらなかったので、これはサダデーナイトパルシーならぬフライデーナイトパルシーをやってしまったかと勘繰りましたが、両側性だったのでそれは流石におかしいと眠気眼で考察。恐らく、一昨日腕立て伏せを久々にやったせいだという結論に至りました。ついに筋肉痛が遅れてやってくるようになってしまった辛い。医大生・たきいです。




高校生までの勉強内容はだいぶ忘れてきてしまいました。数学なんて普段使わないので知識を引き出すことができません。あの当時は一生忘れることがないだろうなんて思っていた内容もボロっと忘れていたりすると悲しい瞬間でもあります。

レギュラーでのバイトは引退したのだけれど、代打のヘルプで塾の高校生の指導をすることが今でもたまにある。極力分かりやすいように説明したいと心がけつつも、騙し騙し教えてしまっていることも実はあって、そんな自分に嫌悪感を抱く。

ただ、知識が錆びた分、ある問題が分からないと生徒が質問に来たら、それはそれはかなり入念に問題文を読むようになった。というより、入念に問題文を注意深く読まざるを得ないのだ。丁寧に問題文を読むというのは受験戦争の鉄則だとは思うが、今思うと当時の自分はまだまだ甘かったように思う。問題文をきちんと読むだけでそこに答えが書いてあるようなもんじゃんという設問も世の中少なくないのだなということに今更気が付いた。問題を出すということは、答えを想定する作業でもあって、設問自体が答えを誘導しているともいえるのだ。

気づけば試験の類から逃れられない人生に足を突っ込んでしまったので、もう身動きは取れずに試験と向き合っていく人生である。問題文をきちんと読む。出題者、質問者の意向を読む。学問の本質とは関係のない作業かもしれない。それでも、腹の立つ時間を減らしていくためにも今一度見直したいところだ。






(毎日ブログ書いているおかけで大学入学後に国語力は上がっている説も信じたい人(笑))